鎌倉大仏前で藤沢駅行きのバスの乗ってから20分ほど揺られて、御霊(ごりょう)神社前で下車。
マップで神光寺(じんこうじ)を目指していくと、途中右手に川名御霊神社があった。
細い参道で遠近感が強調される。
参拝して戻る際の眺め。
これから向かう神光寺の方向。山裾にある。
山の向こう側にはびっしりと宅地が並ぶ(藤沢市片瀬山と鎌倉市西鎌倉)
御霊神社から神光寺への道沿いにあった廃屋。細いロープで囲われていた。
すぐに神光寺に到着。
石段を上がった場所にある解説は、平安中期の虚空蔵菩薩像についてのものだった。
藤沢市指定重要文化財(彫刻)
木造虚空菩薩立像
木造一木造り、彫眼。表面刳落、右腕・左肘先・両手足欠如(本来は右手に宝剣、左手に宝珠を持っていたと推定される) 像高108.7㎝。
本像は、嘉永4年(1851)に神光寺に合併吸収された大勝寺・「新編相模国風土記稿」に「大勝寺、川名山金剛院と号す。本寺前(鎌倉手広青蓮寺)に同じ。本尊は虚空蔵なり」とある虚空蔵菩薩と推定される。
風化が甚だしいが、古様の作風から製作年代は平安時代中期頃と推定され、市内屈指の古仏である。また、立像の虚空菩薩像は全国的にも非常に希少な存在である。
平成10年2月12日指定 藤沢市教育委員会
石段を下りて道に戻り右に回り込んでいくと、境内との境の崖面に横穴墓が。
南西に向いて開口する。
説明板があった。
市指定・史跡 昭和52年(1977)4月13日指定
神光寺(じんこうじ)横穴古墳(横穴墓)群
横穴墓は、丘陵斜面や崖面に横穴を掘り、死者を埋葬する墓で、古墳時代に造られた横穴系の埋葬施設の影響を受けて、5世紀代に九州北部で造られ始めました。
横穴墓は有力者の墓であったと考えられており、藤沢市内では6世紀後半頃から7世紀代を中心に造営され、神光寺横穴古墳群の位置する片瀬丘陵では数多くの横穴墓が造られました。
神光寺横穴古墳群は、昭和43年に横穴墓7基の調査が実施され、土師器片、須恵器片などが確認されています。玄室内では、遺体を安置する棺座が玄室の床面から高い位置に造られており、地域的な特徴とされ、市内の古墳時代を考える上で貴重な史跡といえます。
平成30年(2018)3月 藤沢市教育委員会
図の部分のアップ。
説明板の後ろの一基。
その右にあるもう一基。
踏み跡を辿って上がらせていただくと、棺座が見えた。
そのまま中へ入らせていただいた。
アーチ状に削られた天井を。
半円形の奥壁。
棺座の上面。
棺座の前から開口部を。
壁には帯状の突出があった。
解説板には7基が調査されたとあったが、残りは左奥に続いているようだった。
右の住宅の背中側に。
見学後はバス通りに戻ったが、目の前で行ってしまったので藤沢駅まで歩いた。
途中にあった「村岡ふるさとマップ」
駅の手前でまさかの夕立に遭遇、最後ダッシュでギリギリセーフでした。