墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店本館) 神奈川県横浜市中区南仲通

鎌倉の円覚寺を見学した際、横浜の県立博物館にて内部構造がわかる模型が見られることを知ったので、早速行ってみた。

5/4の連休中に車で行ってしまい、駐車場の車列を見て後悔したが、博物館前の路上パーキングスペースが運良く1つ空いていて助かった。

 

博物館の建物はかつての横浜正金銀行本店で、堂々たるネオ・バロック様式。

明治37年(1904)に竣工。設計は妻木頼黄(つまきよりなか:1859~1916)

横浜赤レンガ倉庫の設計者としても著名だが、王子にも赤レンガ建物が残っている。

重要文化財 酒類総合研究所・赤レンガ酒造工場(旧醸造試験場第一工場) 東京都北区滝野川 - 墳丘からの眺め

 

こちらの建物は外壁を花崗岩で化粧しコリント式の柱をめぐらせる。高さ16.5m、ドームの尖頭までは約36m。1969年に重要文化財、1995年に国史跡に指定されている。

 

建物前にあった説明板。

国指定史跡 旧横浜正金銀行本店 

横浜正金銀行は、安政6年の開港以来、外国商人が主導していた貿易金融取引を改善するため、明治13年2月28日に設立されました。その後政府の保護を受けて外国貿易関係業務を専門的に担当する銀行として成長し、大正8年には世界3大為替銀行の一つに数えられるようになりました。

この建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建設され、ドイツの近代洋風建築の影響を受け、明治時代の貴重な建造物であることから、昭和44年3月12日には国の重要文化財の指定を受けております。

さらにこのたび、我が国の近代史のなかでも、産業経済の発展に貢献した貿易金融機関のあり方を示す貴重な建造物およびその敷地であることから、国の史跡に指定されました。

平成8年3月30日 神奈川県教育委員会

 

博物館内にあった解説によれば、横浜正金銀行は日露戦争では戦費調達のため外債の発行に尽力、その後、中国大陸への資本輸出に積極的に関与して支店を拡大し、太平洋戦争が始まると国家的金融機関として日本の勢力圏内での金融の中心となり、昭和22年に東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)として再スタートしたとのこと。

 

建物は馬車道にも面している。

 

敷地面積は4065㎡あり、四周を通りで囲まれている。

南西側の通りから。向かいのビルから反射した光が当たっていた。

 

背の高い扉があった。

 

ファサードから内部へ。

 

赤絨毯の階段を上がる。

 

ドアを入るとステンドグラスの天井装飾。

 

内部の廊下をぐるりと回ると博物館入口になる。こちらがファサードと反対側の博物館正面。

 

旧山下居留地90番から出土した帝政ロシア製32ポンド砲が置かれていた。

 

博物館では特別展「まぼろしの紙幣 横浜正金銀行券-横浜正金銀行貨幣紙幣コレクションの全貌-」が開催中だったが、常設展で2フロアあったのでそちらのみとした。

常設展は一般300円。

 

質量ともに素晴らしい展示だった。

2フロアあるがそれぞれ複数の部屋に分かれている。特に鎌倉時代と幕末~明治の開港時は他では見られない充実度。

円覚寺の展示は建物内部を実際の木で組んだ原寸大レプリカだった。

考古系の資料も、向ヶ崎古墳(三浦市)出土の馬形埴輪や蓼原古墳(横須賀市)出土の家形埴輪をはじめとするさまざまな出土物が、自分には興味深かった。

弥生時代の「家形土器」というものをはじめて見た。

 

写真撮影は可なのだが、ブログに載せることは不可というのが大変残念だった。

写真は入口だけ。

 

ミュージアムショップも充実していた。面白いものがあった。

 

「休館セール」との表示で、来月から休館になってしまうことを始めて知った。

2016年6月から2018年4月下旬までの約2年間、改修工事で全館休館するとのこと。

とても充実した展示だったので、閉まる前に子どもを連れて再訪したい。