東京の赤レンガ建物シリーズ。
JR京浜東北線の王子駅の北口で下車。都電も通る明治通りのカーブの坂道を上っていくと音無橋の信号がある。
右の小道のすぐ先に「醸造試験場跡地公園」入口の煉瓦造の門。
桜並木の通路を少しいくと芝生公園が広がり、公園の向こうに煉瓦建物があった。
昨年2014年12月に重要文化財指定を受けたばかりの旧醸造試験場第一工場。
明治37年(1904)竣工の、明治政府が設立した施設。
醸造に関する唯一の国立研究機関として日本酒造りの近代化と酒類産業の発展に貢献したことで、文化財(建造物)に指定された。
設計は横浜赤レンガ倉庫(横浜新港埠頭倉庫:1911年)や神奈川県立歴史博物館(横浜正金銀行本店:1904年)を手掛けた、妻木頼黄(つまき よりなか:1859~1916)
工部大学校造家学科(東大建築学科)でジョサイア・コンドルに学ぶ。辰野金吾の後輩。米国コーネル大学に留学して帰国後は東京府に勤務、国会議事堂建設のための臨時建築局に勤めた(が在世中は着工されなかった)
大蔵省で港湾、税関、煙草・塩専売などの施設建設に従事し、明治時代の官庁営繕組織を確立した。(以上 Wikipediaより)
並んだ屋根の三角、妻飾りの凸凹がリズミカル。
下には、研究をリードした矢部規矩治博士の銅像があった。
矢部規矩治博士(1868~1936)
矢部規矩治博士は、明治27年(1894)東京帝国大学農科大学を卒業。明治28年(1895)世界で初めて清酒酵母を分離した。明治29年(1896)大蔵省に入省、明治37年(1904)の醸造試験場設立に尽力し、醸造技術の発達、また、我が国の関税制度の確立に多大な功績を残した。昭和6年(1931)退官までの34年間、税務並びに醸造界のために尽力し、門下より数多くの学者技術者を輩出した。設計・塑像 大野明山
張り出した部分が気になった。
正面入口側に回ってみる。
醸造試験所は1995年に東広島市に移転し、その後に国税庁醸造研究所となったが2001年には独立法人酒類総合研究所となった。
今年2015年7月には、その酒類総合研究所も広島に移転してしまった。
柵越しにズームで撮った施設案内図。
正門の看板も文字が消されていた。
同じ敷地の先に東京国税局鑑定指導室の門があった。
※追記:2017年秋に内部の見学ができました。
西側正面。妻飾りの凸凹も2段になっている。妻の丸窓は赤羽の旧東京第一陸軍造兵廠のデザインにもあった。
公園のトイレも煉瓦タイル貼りだった・・・
入った門から出る。
すぐ先は音無橋。
石神井川の本流は暗渠(飛鳥山分水路:バイパス)へ。
音無親水公園(旧石神井川)と、現・石神井川との間はダムのようになっている。音無親水公園には汲み上げた地下水が流されているそうだ。
音無親水公園から見上げる音無橋は、御茶ノ水の聖橋にそっくりだった。
橋の下を通って王子駅へ。
桜の名所の親水公園も秋は静か。
細い流れだが、水があるとないとでは大違い。
流れはそのまま王子駅の下へ。
ふと見ると王子駅北口本屋増築の建築計画のお知らせが。2016年3月完了なので大規模ではなさそうだが。