墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

増上寺 経蔵・輪蔵

前回のつづき。

東京文化財ウィーク2015の一環で、増上寺の「経蔵(きょうぞう)」の一般公開があった。

 

建物前にあった説明板。

東京都指定有形文化財 増上寺経蔵

所在地 港区芝公園4-7-35

指定 大正10年4月

増上寺は明徳4年(1393) 酉誉聖聰により武蔵野国豊島郡貝塚(現千代田区)に浄土宗の正統念仏法道場として創建され、慶長3年(1598)現在地に移転しました。同10年から増上寺は幕府により浄土宗教義に基づく本堂・三門・経蔵・表門・方丈・学寮・諸堂などを配置した大伽藍が造営され、やがて徳川将軍家菩提寺、浄土宗の関東十八壇林の筆頭に就き、浄土宗宗政を総括する総録所となりました。

経蔵は慶長10年(1605)に創建され、天和元年(1681)12月に改造移築し、さらに享和2年(1802)6月現地に移しました。構造は土蔵造、白壁仕上げ、一重、屋根宝形瓦葺き、四方に銅板裳階付き、建坪42.24坪(139.66㎡)、軒下高さ21尺(6.36m)。経蔵内部には、中央に軸を立て8面の経巻棚を設け、これに経巻を納め、自由に回転できる八角形の木造輪蔵を安置しています。これには徳川家康が寄進した宋版、元版、高麗版の大蔵経重要文化財)が格納されています(現在は別に保管されています)

平成22年3月建設 東京都教育委員会

 

公開時間前の様子。

一見、鉄筋コンクリートかと思ってしまったが、17世紀の建物だった。

 

内部には大迫力の輪蔵があった。4~5mほどの高さがある大きなものだった。

なんとこれを見るだけでなく、「回せる」ようになっていた。

右回りに一周、回させていただいた。思ったよりスムーズに動いたが、一人で回すには力を要した。

 

八角形の軒下部分。色鮮やかな見事な組物。

 

下部の軸の部分。どのような構造になっているのか、上部に軸はどうなっているのか、いつできたのか、などが気になった。

 

以下は内部にあった説明板より。

増上寺「経蔵」について

経蔵とは、印度その他の言語から中国語(漢文)に翻訳された聖典を中心とする、仏教の叢書である大蔵経(だいぞうきょう)を収蔵する蔵のことである。

増上寺の経蔵は慶長18年(1613)に建立され、その後享和2年(1802)現在の堂に大改築された。木造八間四面、一重白壁土蔵造り、屋根四方に鉄板造りの裳階(もこし)を配し、大屋根は宝形造り瓦葺きである。

経蔵の中央に大輪蔵がある。八角の書架が中心にある軸で回転するようになっているので輪蔵という。

この輪蔵には南宋大蔵経が、左右の書架のうち向って右の棚には元版大蔵経、左の棚には高麗大蔵経がそれぞれ函に収めて収蔵されていた。現在はすべて経蔵の後方にある収蔵庫で保存、管理している。

輪蔵の正面前には中国南北朝時代の傳翕(ふきゅう 497~569)大士の木像、大士に向かって左に長男の普建、右に次男の普成の像を安置している。傳翕大士は、明るい社会の請来には、大蔵経に親しむにありとして、当時、文字を知らぬ人、また修学する環境にない人々にも広く仏教と縁を結ばせるために輪蔵を考案したと伝えられる。

大蔵経とは中国の南宋大蔵経・元版大蔵経、及び韓国の高麗大蔵経であり、ともに木版印刷であるが、いずれも若干他の刊本や補写本を含んでいる。すべて国の重要文化財に指定されている。

経蔵は、一般には一種類の大蔵経を収蔵しているが、増上寺の経蔵は三種類の大蔵経を収蔵したほかに類例のないものであり、東京都の文化財に指定されている。

大本山増上寺

 

大変貴重な体験をさせていただきました。関係者のみなさまに感謝申し上げます。