よく晴れた10月最初の土曜日、東洋文庫ミュージアムで開催中の「幕末展」を見に駒込界隈へ出かけた。まずは、すぐそばにある六義園へ。
掘割り状の駒込駅線路際には、つつじの「群れ」があった。巨大なマリモのようだった。
2006年に改装された駅舎。本郷通りの駒込橋と平行した屋根つき通路もある。
駅前ロータリーのすぐ先、「駒込橋」の信号を渡ると六義園の門があるが普段は閉まっていて、300mほど先の正門から入場する。
北西面のレンガ塀。
本郷通りに沿いの道には個性的な店が並ぶ。よさげなカフェやレストランも。
こちらが六義園正門。公開は9時~17時。大人300円。
入ってすぐに、清々しいコーラスが響いてきた。
「フレーベルミニコンサート」の公演中だった。何組かの子供たちががんばっていた。
六義園正門の向かい側に(株)フレーベル館があったので関連事業なのだろう。
コーラス会場の横を通り抜けると、見事な庭園が広がっていた。面積は8.7haで東京ドーム2個分弱。
以下は、東京都建設局公園緑地部のサイト-都立公園・庭園案内-より転載。
元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉から与えられたこの地に、柳沢吉保が、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水(かいゆうしきつきやませんすい)庭園」を造りました。ここは平坦な武蔵野の一隅だったので、庭を造るにあたり池を掘り、山を築き、千川上水の水を引いて大泉水にしました。
六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっています。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来します。
庭園は中の島を有する大泉水を樹林が取り囲み、万葉集や古今和歌集に詠まれた紀州(現在の和歌山県)の和歌の浦の景色を始め、その周辺の景勝地や中国の故事にちなんだ景観が映し出されています。
庭園は明治時代に入って三菱の創業者である岩崎家の所有となり、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されました。なお、昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されました。
「水分石」と「枕流洞」は庭園全体の水源。作庭当時は千川用水が利用されていたが現在は井戸水が使われている。奥の「三尊石」は岩崎家所有時代に据えられたと伝えられる(説明板より)
見事な枝ぶりの松。
園内には御茶屋がいくつかある。緋毛氈で、よい雰囲気。
深山のような箇所も。
つつじの墳丘を思い出した。
藤代峠へ向かう石段。
「峠」からの見事な眺め。
大きな一枚岩を連ねた渡月橋。
紅葉の始まりを発見!? ナナカマドの葉が一部赤く色づいていた。
六義園の紅葉の見ごろは11月下旬から12月上旬になるそうだ。
11/19~12/6の期間中は21時まで開園し、ライトアップも行なわれる。
今に見ごろは勢いのよいススキか。
巨木もあった。
20m以上はありそう。
木々の向こうには、立地を享受している建物。
由緒ありそうな蔵。
一ヶ所、背後にビルが映り込まないポイントがあった。江戸期と同じ風景か。
再びコンサート会場の横を通って外へ出た。南面にもレンガ塀が建つ。
レンガ塀に開口部があって、内側が児童公園になっていた。
大きな木と親しめる公園でもあった。
つづく。