前回のつづき。
羽生田古墳群の茶臼山古墳を諦めた後、東北東方向に7kmほど離れた場所にある塚山(つかやま)古墳群を目指した。
栃木県総合運動公園の駐車場の隣に位置する。広い駐車場だが柵があって一旦外に出ないと古墳へは行けなかった。
地元の「愛護会」による説明板。
塚山古墳群
所在地:宇都宮市西川田7丁目・西川田東町
築造時期:5世紀後半
指定年月日(県指定史跡):昭和28年11月10日(塚山古墳)、昭和48年4月13日(塚山西古墳・塚山南古墳)
古墳の概要:塚山古墳群は、大型の前方後円墳である塚山古墳を中心とした古墳群で、5世紀後半に造られ、この地域を支配した一族の墓と考えられます。
現在も残っているのは、塚山古墳、塚山西古墳、塚山南古墳および6号墳の4基ですが、これまでの調査で多くの円墳や埴輪棺(埴輪を使った棺)が確認されています。また、これらの古墳からは埴輪や儀式に使われたと思われる土器が多数出土しています。
塚山古墳はかつて「兵庫塚」と呼ばれ、この地域の地名である「兵庫塚」もこれに由来すると言われています。
なお、この古墳群は栃木県の古墳時代を知る上で非常に重要であることから、県指定史跡となっています。宇都宮環状線道路がトンネルになっているのも、この景観を守るためです。また、土地の所有者による整備や地域の愛護会による草刈り活動なども行なわれ大切に保存されています。
塚山古墳(1号墳) 前方後円墳 全長98m 円筒埴輪、土器、葺石が出土
塚山西古墳(2号墳) 帆立貝形前方後円墳 全長63m 円筒埴輪、土器
塚山南古墳(3号墳) 帆立貝形前方後円墳 全長58m 円筒埴輪、土器
塚山6号墳 円墳 直径20m 円筒埴輪、土器
(その他は省略) 塚山古墳愛護会
最初に出会うのは6号墳。円墳だが3分の1程は歩道がかかっていて変形している。
そのまま先へ行くと、塚山古墳の前方部裾に出る。
100m近い全長で、視界を遮るものがなく、ゆったりと横たわる。
直前に訪れた壬生の古墳群が6世紀後半~7世紀前半なので、こちらの方が1世紀古い。
自分の「座右の書」、関東古墳探訪ベストガイドにも見開きで紹介されている。
こちらでは「珍しい剣菱形の古墳」として紹介されていて、「剣菱形は関西の王族の墳墓によく見られる形であることから、比較的王族に近い人物が葬られた墳墓ではないかという推測もある」ともあった。
左右のくびれ部に上り口があり、馬の背部分から前方部、後円部それぞれの墳丘に上がれる。
石段の途中から後円部。斜面にはつつじが植わっている。
同じ位置で振り返って前方部側。
後円部墳頂から前方部側。
つつじの低木に覆われた墳丘。前出書には「約1万株のツツジ」とあった。
こちらの方のブログには、赤や白のつつじが咲いている写真があって壮観。
後円部の先端から先。
Googleで見ると、後円部先端も道路にかかってしまっていることがわかる。
周囲には小さな河川があるようだが平地。それでも眺めは良かった。
南東側に気になる木立が見えた。この方向に2kmほどでJR東北本線の雀宮駅がある。
前方部へと移って、そこから見た後円部。
前方部の先には半円になった6号墳がある。
前方部の右隅。
こちらは左隅。その先に大駐車場があるが柵で仕切られている。
つつじが植わっているものの、きちんと刈り込まれた葉が一面を覆っているので墳丘の形がよくわかる。このような見せ方もあるのだなと思った。
墳丘から降りて、左側面から。
左側に後円部。
右側に前方部。
こちらにも説明板もあった。
所有者の方によるものだろうか。
後円部よりも前方部の方が、幅も高さもあるようだ。
こちらの図では造り出しもあることがわかる。
前方部の左裾から。
つづく。