墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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白山神社古墳、箕輪浅間神社古墳 (久留里近辺)

圏央道の木更津東インターができているので車で行くと便利。久留里線に1駅でも乗りたかったが時間が合わなかった。今回も「房総の古墳を歩く」のお世話になる。

小櫃川沿いの地域は古代「馬来田(まくた)の国」と呼ばれた地域だったそうだが、100m前後の大きな前方後円墳3基が、それぞれ近辺の丘の上にひっそりと残っていた。

房総の古墳を歩く/君津市久留里の古墳

 

・白山神社 つきあたりの社殿の裏が古墳

久留里街道(国道410号線)沿いにあった。注連縄が真ん中だけ太い。

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・白山神社古墳 前方後円墳 全長88m 古墳時代前期

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本殿裏手、段の上の林の中が後円部。

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神社とは反対側のくびれ部から登る。

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くびれ部からの眺め。一部だけ窓のように開いていた。

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後円部から前方部。木々の背が高い。

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前方部から後円部。

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下に降りる。右手前が後円部、左奥が前方部。

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後円部の先に円墳があるとのことで、そのあたりの地面に気になる穴が。

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※追記: 房総の古墳を歩く/君津市久留里の古墳には、当古墳にまつわる、大友皇子(弘文天皇)伝説が紹介されている。

古くから、この地は、壬申の乱に敗れ、近江の長等山の山前で亡くなったことになっている大友の皇子が、実は、ひそかに東国に逃れて望陀郡田原郷に城を築き、君臣ともにこの地で大和の軍と再び戦い敗れ、自刃した地であるとの伝説が残っている。そして、その御陵が白山神社古墳であり、御魂は白山神社に奉祀したと言い伝えられている。

 

 

別の伝説にある大友皇子終焉の地も古墳(葬り塚)

国指定史跡 茶臼山古墳 小茶臼山古墳 滋賀県大津市 - 墳丘からの眺め

 

・熊野神社

浅間神社を探してる途中にあった。

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立派な参道の杉並木。荘厳な雰囲気だった。社殿の裏手はすぐ山だった。

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・箕輪浅間神社

車2台ほど停められる場所がある。鳥居から振り返ると田が広がる。後ろはすぐ階段。

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・箕輪浅間神社古墳 前方後円墳 全長100m以上 古墳時代前期(4世紀)

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参道入り口は急な階段。落ち葉で滑りそうで慎重に行く。

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 途中で振り返った景色。草の向こうに田が広がる。ここより上では展望がなかった。

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前方部から後円部。古墳の長軸上に参道と社殿がある。

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拝殿。後円部上となる。

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下に降りて後円部を見上げる。

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後円部周囲の小道。左下は結構急な斜面だった。

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