臼ガ森古墳は、前回の杵ガ森古墳の真北400mに立地する。
会津坂下町のサイトには 、昔、源義家がこの付近に陣を張った際に農民が餅をついてふるまい、その時の杵(きね)・臼(うす)・米をそれぞれ埋めたところが杵ガ森古墳・臼ガ森古墳・米ガ森古墳(消滅)になった、との言い伝えが紹介されていました。
https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/30/282.html
以下の紹介文は「古墳マップ」さんからの孫引きです。
古墳時代前期の前方後円墳。
現状は円墳だが、1990年代の調査で全長約50m、後円部径約30m、前方部幅約14mの前方後円墳だったことが確認されている。前方部は消滅し、後円部の墳頂に愛宕神社の社殿が建てられている。
南側から。杵ガ森古墳と同じ向きであれば手前の南側に前方部があったのでしょうか。
石段を上がって振り返って。
墳頂にある愛宕神社に参拝。
社殿の後ろの北側を。
北東側。
拝殿の東側に建物が付随。
そこから東側に降りる参道もあります。
その先の県道には大きな標柱も。
南側の参道を横(西側)から。
西側からの墳丘を引いた位置で。
裾に沿って道との間に溝がありました。
北西側から見た、墳頂の愛宕神社。
東側の県道からの遠望。周囲は平らであることがわかります。
下記の本によれば、このエリアでは 杵ガ森古墳・米ガ森古墳杵(消滅)・臼ガ森古墳という前方後円墳が古墳時代前期に続けて造営されたが、近くの亀ケ森古墳・鎮守森古墳なども含めた前方後円墳12基・前方後方墳3基で構成される「宇内青津古墳群」でみるとそのほとんどは前期古墳と考えられ、古墳時代前期を通じて前方後円墳や前方後方墳が継続的に集中的に築かれたこのような古墳群は、列島内を見渡しても大和などの中枢部を除けば”多くない”、と記されていました。