墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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三井三池炭鉱万田坑(外観) 熊本県荒尾市原万田

別当塚古墳群の見学後、少し時間に余裕があったので、途中の道で案内のあった”万田坑”(の入口)へ寄りました。

 

県道29号から万田炭鉱館の広い駐車場へ。そこに万田坑ステーションがあって入場券を購入します。

 

万田坑の開館時間は9時半~16時半(月曜休館)。

この時点で開館していましたが、ここに寄ると行ける古墳が減るので入口までとしました。

万田坑ステーション | 観光スポット | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。

 

”ステーション”から入口までは150mほど歩きます。途中に気になる煉瓦建物と電灯)

 

入口から望む第二竪坑建物。背後に見えるのが竪坑のエレベータを支える櫓です。現在は埋め立てられているそうですが、稼働時は深さ264mもあったとのこと。

 

下記のサイトの解説がわかりやすかったです。

日本の産業革命を支えた石炭を産出した三池炭鉱は、熊本県荒尾市と福岡県大牟田市にまたがっていましたが、中心的存在は明治の頃の技術の粋を集めて建造された日本最大規模の2つの竪坑を持つ「万田坑」だったそうです。

採炭終了は1951年、万田坑の閉山は1997年で、後に国の重要文化財と史跡に指定され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する資産として世界文化遺産に登録されています。

世界のくまもと|世界遺産 万田坑(荒尾市)

 

万田坑第二竪坑は明治41年(1908)、1.3㎞北東にある宮原坑第二竪坑(大牟田市)は明治34年(1901)の竣工で、いずれも石炭を送り出すための第一竪坑とは別に、人員の昇降などを主目的として作られ、櫓や巻き上げ機室、附帯設備などが残っているとのこと。

三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱旧万田坑施設 第二竪坑櫓 文化遺産オンライン

 

煉瓦建物を東側正面から。

 

煉瓦塀とともに。

 

さらに引いた位置から。

 

敷地の境には、厚みのある煉瓦塀が断続的に残っています。

 

万田坑案内図。

 

三か国語による解説もあります。

三池炭鉱の坑口と専用鉄道図
三池炭鉱は三井財閥の団琢磨(後の三池財閥総帥)などの努力により採炭技術の近代化が急速に進められ、明治、大正、昭和を通じてわが国の近代化の牽引役を担い、各種産業の勃興、発展を促しました。三池炭鉱の主要な坑口の一つである万田坑施設は、明治30年(1897)に工事に着手し、明治35年(1902)から操業を開始しました。三池炭鉱の主要な坑口は、炭鉱鉄道により環状(馬蹄形)に繋がれるなど、明治後期には三池港から石炭を国内外に搬出する施設が出来上がっています。

 

万田坑施設全体図
万田坑には、櫓や巻揚機室などの操業時の施設や設備関係が良好に残っています。機械類では、第二竪坑巻揚機室に外国製の機械(ジャックエンジン、ウインチ)や三井三池製作所製の機械(巻揚機)が、ほぼ当時の状態で残っています。この他、坑内で使用された機械類は日本製のほか多くの外国製(イギリス、ドイツ、アメリカ、スイス等)の機械が導入されていました。炭鉱のシステム(採炭、選炭、運炭)がわかることから平成12年(2000)に国史跡に指定されました。

 

万田坑の施設
国指定重要文化財(1998年指定)
第二竪坑櫓
第二竪坑巻揚機室
倉庫及びポンプ室(旧扇風機室)
安全燈室及び浴室(旧機械室)
事務所(旧扇風機室)
山ノ神祭祀施設
荒尾市教育委員会2010年4月

 

顔出しパネルも。

興味深い建物、施設なので、ぜひ再訪したいと思います。