墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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不二山古墳 群馬県前橋市文京町

王山古墳の見学後は利根川を渡って前橋中心部へ。

前橋駅から東側、両毛線に沿うように(実際は旧利根川の広瀬川に沿って)古墳が点々と残る、朝倉・広瀬古墳群を訪ねた。

 

初めに向かったのは西端にある不二山古墳。

 

住宅地の中、駐車場の脇に墳丘はあった。

 

円墳のように見えたが、実際は全長54mの前方後円墳(の後円部)

 

回り込んでいくと説明板があった。

 

草が深くて近づけないのでズームで。 

前橋市指定史跡 不二山古墳(ふじやまこふん)
指定年月日:平成9年4月21日
所在地:前橋市文京町3-2
上毛古墳綜覧(昭和31年群馬県発行)に前橋市第2号墳として登録されている前方後円墳である。古墳の周辺は、昭和30年頃から宅地化が進み、周囲を住宅に囲まれている。墳丘の前方部と後円部の一部は宅地化により削られ、原形をとどめていない。
昭和29年に群馬大学史学研究室により後円部に残る石室部の調査が実施された。その結果、石室は、角閃石安山岩を用いて築かれた両袖形の横穴式石室で、角閃石安山岩の丸石の五面を削り、壁石として用いた互目積としており、高崎市綿貫観音山古墳の石室や総社二子山古墳の後円部の石室と共通する。
出土遺物の中には、冠、直刀、槍、鉄鏃、耳輪、玉などがあり、特に、冠の出土は、本市山王町金冠塚古墳に次いで二例目であり、これらの古墳が属する「朝倉・広瀬古墳群」の重要性を際立たせる資料になっている。これらの遺物は、現在、群馬大学に保存されている。
法量
全長54.5m、後円部径31.5m、高さ7m
前方部幅35m、高さ6m
石室全長8.8m、玄室長さ4.7m
奥壁3.05m、前幅2.6m
羨道長さ4.1m、奥幅1.53m、前幅1.25m
前橋市教育委員会

 

後で検索していると、全国遺跡総覧のサイトに「群馬の古墳時代はここから始まった! 朝倉・広瀬古墳群(2015年・前橋市教育委員会作成)」という16頁のパンフに行き当たった。

https://sitereports.nabunken.go.jp/16308

 

上記によると、不二山古墳の築造時期は6世紀後半。

ここから南東600m程にある天川二子塚古墳も同時期の築造で、相似形の平面プラン(不二山古墳が2分の1サイズ)を持つことから豪族同士の密接な関係がうかがえる、と記されていた。

不二山古墳の、加工した角閃石安山岩を積んだ横穴式石室は、崩れてしまったため見学はできない、とも。

 

草が深くて墳丘へも上がれないかと戻りかける。

 

よくみると、草丈の低いところも。

 

そこから墳頂へ上がらせていただいた。

 

墳頂から東側。

 

振り返って前方部方向は草の壁だった。

 

降りてよく見ると、草の壁の先も後円部のようであった。

 

周囲にぎりぎりまで宅地になっていた。右奥がくびれ部か?