墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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赤門上古墳(内野上3号墳) 静岡県浜松市浜北区内野台

前回のつづき。

蛭子森古墳の探訪後は、さらに西に5kmほど、天竜川西岸において複数の古墳群が集中するエリアへと向かった。

遠州鉄道の踏切を越える。次の機会にはこの赤い電車にも乗ってみたい。

 

内野上古墳群は台地の上に開発された住宅地の一画に保全されていた。 

 

眺めのいい高台の住宅地。右手が古墳入口。 

 

右手方向は撮っていなかったのでストリートビューで。

 

入口脇にある説明板。

静岡県指定史跡 赤門上(あかもんうえ)古墳
南に突き出た丘陵の先端に、前方部を南に向けてくつられた、長さ56.3m、後円部の高さ4.9mの、天竜川西岸地域で最大・最古の前方後円墳です。
この古墳に葬られた人は、約1600年前に、天竜川西岸地域で最も大きな力をもっていた豪族と考えられます。石の首飾りをして木の棺に入れられ、「三角縁神獣鏡」とよばれる銅鏡のほか、剣、刀、鏃などの武器や、斧、釜、鉇などの農耕具と一緒に、後円部の中央に埋められていました。
出土品は、浜北文化センター内の市民ミュージアム浜北に保管・展示されています。
平成6年8月 静岡県教育委員会 浜松市教育委員会

 

緩い坂を上った先に、墳丘と詳しい説明板があった。 

静岡県指定史跡 赤門上古墳
赤門上古墳は、浜松市浜北区内野の、南に突き出た丘陵の先端部に立地しています。
前方部を南へ向けた前方後円墳で、全長56.3m、高さ4.9mの規模は市内でも最大級です。前方部が低く、幅のせまい点が特徴です。
昭和36年に発掘調査が行われ、墳丘の裾部分には1~3mの幅で河原石が帯状に巡っている様子が見つかりました。また、後円部の中央付近からは、全長5.6mの割竹形木棺を埋葬した跡が見つかりました。木棺の材質はクスノキで赤く彩られていました。
その埋葬施設からは、「三角縁神獣鏡」と呼ばれる銅鏡や、鉄剣、大刀、銅鏃、鉄鏃、鉄斧、鎌、鉇、管玉などの副葬品が出土しています。
特に三角縁神獣鏡は、中国大陸からの舶来品といわれており、ごく限られた有力者の古墳にしか副葬されないものでした。同じ鋳型(笵)でつくられた鏡は、兵庫県吉島古墳で2面出土しているほか、奈良県の黒塚古墳や佐味田宝塚古墳、京都府椿井大塚山古墳などいずれも近畿地方から出土しており、当時の日本の政治の中心であった近畿地方との関係がうかがえます。
これらのことから、この古墳は古墳時代前期後半(4世紀後半頃)につくられた市内でも最古の古墳であり、天竜川西岸地域において大きな力を持ち、中央政権とのつながりの強い豪族が葬られていたと考えられます。
赤門上古墳は、当地域の古墳時代を考える上で、非常に重要な古墳であり、昭和54年11月に静岡県指定史跡となり、平成2年3月には出土品一式が静岡県指定有形文化財となっています。
なお、三角縁神獣鏡をはじめとする出土品は、浜北文化センター内の市民ミュージアム浜北にて展示されています。
平成21年3月 浜松市教育委員会

 

説明板の地図。古墳密度が高い地域。右下が赤門上古墳だが、舌状台地の端に前方部を先端側に向けて築かれている。

 

幅が狭く低い前方部は前期古墳の特徴。

 

発掘調査で三角縁神獣鏡が出ているので被葬者は、当時の中央政権・近畿地方と強いつながりを持っていたと考えられている。

 

墳丘をパノラマで。

 

横から見た後円部。

 

前方部は僅かな膨らみ。

 

前方部の端あたりから後円部方向。どこまでが前方部かはわかりにくかった。

 

前方部の先(南)は急斜面。

 

前方部右裾(南東隅)から後円部方向。

 

後円部墳頂。

 

後円部から振り返った前方部。

 

後円部墳頂から、その先の眺め。

 

後円部裾から東側のパノラマ。すぐ先を馬込川とその支流が流れるが、天竜川とは合流せずに遠州灘へ注いている。

 

北北西側の眺め。右奥にちらりと見える林が山の神古墳で、昔は尾根が地続きだった。

中央左寄りの緑の帯は500mほど先、二本ヶ谷積石塚群がある「つみいしづか広場」

 

後円部裾から前方部方向。

 

敷地には「古墳めぐり」の案内板が設置されていた。 

 

住宅地の角に現れた階段。面白そうな道だったが、今回は古墳旅だったので寄り道はせずに次の古墳を目指した。