前回のつづき。
山の神古墳は赤門上古墳の200mほど北に残されていた。
階段下の説明板。
山の神古墳
別名「内野上2号墳」とも呼ばれており、直径16m、高さ約1.8mの円墳です。
墳丘の頂上部分に「山の神」を祀った祠があることから山の神古墳と呼ばれています。
未発掘の古墳のため、出土品や時期は明らかではありません。
平成6年8月 浜松市教育委員会
急な階段を上る。
階段を上がると目の前に円墳があった。
墳頂にはブロックで造られた社が。金網の向こうはスパッと切られている。
金網の先の「空き地」
建物があったような跡があった。
階段上の説明板は発掘調査後のものだった。
横穴式石室と推定される埋葬施設は未調査。
山の神古墳
浜の神古墳は、浜松市浜北区内野台4丁目の丘陵上にあります。元の地形は、北側にある稲荷山古墳から南側にある赤門上古墳まで、ほぼ同じ高さのなだらかな丘陵でしたが、現在は周囲が住宅地として造成されているため、切り立った単独の小山の上に立地しているようにみえます。墳丘の上には祠が祀られており、古墳名の由来となっています。
平成20年に墳丘の確認調査が行われ、直径15.8m、高さ2.3mの円墳であることや、古墳の北側には溝が巡り(周溝)、南側には平坦面(テラス)が広がっていることがわかりました。また、その平坦面からは、横穴式石室をふさぐ石(閉塞石)によく似た、ひとかかえほどの石がまとまって見つかったほか、須恵器と呼ばれる6世紀頃の土器の破片も出土しました。横穴式石室とは、石を組んでつくられる埋葬施設で、横に出入口があるため何人も死者を葬ることができ、古墳時代後期(6~7世紀)に広まりました。
山の神古墳は、埋葬施設が未発掘で、調査の範囲もわずかであるため断定はできませんが、横穴式石室を有する6世紀半ば~後半頃の古墳である可能性が高いと考えられます。
平成21年3月 浜松市教育委員会
後で調べていたら、「全国遺跡総覧」のサイトから、浜松市教育委員会が作成した詳細な調査資料(全26頁)を閲覧できるようになっていた。
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/20046
上記によれば、墳丘のある場所は「なだらかな台地の縁辺部」で「台地上の平坦面から斜面に移行する傾斜変換点 」だったが、宅地造営によって周囲から土取りがなされて独立した島状の景観になってしまったと記されていた。
回り込んで東の裾あたりから見上げた墳丘。
墳頂からの眺望はほとんど無かったが南方向に少しだけ、樹木の窓があった。
墳丘南側の平坦面。こちら側のどこかから横穴式石室が埋まっているのか。
東側もかなりな傾斜で削られていた。
西側麓から見上げた墳丘。ここでスズメバチ・大一匹に遭遇し、早々に立ち去った。