前回のつづき。
煉瓦蔵を探していたところから。
丸の内線の新大塚駅出口がある春日通りの南西側は、豊島岡墓地との間が谷のような地形になっていた。
春日通り側からの斜度が結構きつく、すぐそばを並行する小道もこのような状態(左側が春日通り方向)になっていた。
歩いていたら途中で10数人の集団が現れた。みなさん地図を片手にガイドの方の説明を受けていた。思わずついて行きたくなるところを我慢。
集団が現れた階段路地を上がった。
上がった先に石畳。
再び石段。
小道沿いのお宅は木造家屋だった。
そこから振り返ったところ。
春日通り側からの細道入口。
新大塚駅入口そばのお茶屋さん。趣のある蔵があった。
再度「斜面エリア」に戻って歩いていくと、急な石段がそこここにあった。
プライベート石段。斜度60度以上か。
道のくねくねは、高さに沿ってつけたのか川跡か。
古そうな側壁。
工事中の一画があった。青のフェンスは反対側の路面に立っている。
坂下通りに出て南へ。昭和の香りが残る店構え。
その近くに魅力的な路地があった。
奥の石段は二股。
右手の先は民家。
左手の先も行き止まりだった。
石段上から。
坂下通りにもあった吹上神社の鳥居。
富士見坂に近づくと、こちらにも板壁のお宅があった。
富士見坂の手前に、坂と並行して石段があった。
上ったところから振り返って。正面奥が豊島岡墓地。
富士見坂(@不忍通り)を坂上から。
こちらは坂下のバス停から見上げた富士見坂。
坂下側に説明板があった。
富士見坂 大塚2丁目と5丁目の間
坂上から富士山が見えたので、この名がある。高台から富士山が眺められたのは、江戸の町の特色で、区内には同名の坂が他に二ヶ所ある。坂上の三角点は、標高28.9mで区内の幹線道路では最高地点となっている。むかしは、せまくて急な坂道であった。大正13年(1924)10月に、旧大塚仲町(現・大塚3丁目交差点)から護国寺前まで電車が開通した時、整備されて坂はゆるやかになり、道幅も広くなった。また、この坂は、多くの文人に愛され、歌や随筆にとりあげられている。
とりかごをてにとりさげてともわがとりかひにゆくおほつかなかまち 会津八一(1881~1956)
この道を行きつつ見やる谷越えて蒼くもけぶる護国寺の屋根 窪田空穂(1877~1967)
文京区教育委員会 平成14年3月
大塚3丁目交差点では春日通りと不忍通りが交差するが、4方向から登って来た頂上のよう。
交差点を越えて不忍通りを東に下るとすぐに本伝寺がある。
門前に旧町名の説明板。
不忍通りに面した山門。
山門の天井部分。
交差点に戻って春日通りを南へ向った。こんなところに銭湯が。
その並びのビルの間からは高源院。
つづく。