墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

三田用水路跡 東京都港区白金台3丁目

畠山記念館へ行ったあと、周辺にあるはずの三田用水跡を探した。

かつてタモリ倶楽部で取り上げられていた記憶があった。

あとで検索したら放送は2009年5月、さらにすぐに地図上にポイントが記されて位置もわかったが、この日は探す範囲も広くないと思いで現地で自分で探してみた。

標高が高そうなところを歩いて行くと住宅街のY字路にお堂を見つけた。グーグルマップには今里地蔵尊とあった。

 

左の路はその先で下がって行くので右手の路を進むと、その先に橋脚のような構造物があった。

 

説明板もある。

三田用水路跡

三田用水は、江戸市街の拡大で増加した水の需要に応じるため、寛文4年(1664)に玉川上水の水を下北沢で分水したものです。

中村八郎衛門・磯野助六によって開かれたといわれ、代田、代々木、渋谷、目黒を経て現在の白金台、高輪、三田、芝地区に配水されました。享保7年(1772)に学者室鳩巣の意見で本所(亀有)、青山、千川の各上水とともに廃止され、江戸の街を潤す水道は玉川、神田の両用水だけとなりました。しかし、三田用水は流域の村々の農業用水でもあったので、嘆願して廃止の翌々年から再び水を引くことを許され、三田用水と呼ばれて一宿十三ヵ村の用水として使用されました。

当時の水道は自然に流れるだけでしたので、この付近では堤状に水路を残して通す工夫をしました。ほとんど失われてしまった三田用水路の貴重な遺構は、特に断面がわかるように残されています。また、水路の通っていた位置を示すための色違いのタイルを地上に並べて記念としています。

昭和57年3月設置(平成19年2月立替) 港区教育委員会 ハイクレスト白金台管理組合

 

後ろを振り返って。歩道の白いタイルの上に橋脚があったのだろうか。

 

階段を上ってかつての水面の高さへ。

 

階段の上から。ここからさきほどの地蔵尊のあたりまでは掛樋が通っていたのだろう。

 

金網の内側は草が茂っていて様子がわからなかった。

 

その背後の「上流側」 

幅広の歩道がいかにも旧水路の風情。

 

小さな欄干跡も。歩道にとっては邪魔になるが貴重な遺構では。

 

西側には芝白金台団地があるが、その先は標高が下がっていて遠望があった。三田用水が台地の縁ぎりぎりに通されていたことがわかる。

 

細い路に比して巨木が立つのも水路の名残りか。

 

旧水路の上は駐車場だけでなく、住宅敷地としても活用されていた。

 

その先にあった「遺構」

三田用水が廃止されたのは1974年。

三田用水 - Wikipedia

 

その先も巨木が並んでいるので水路跡が想像される。

 

路沿いのお宅の塀の基礎も”護岸”ぽく感じる。

 

さらに先のマンションの玄関口。伐らずに残されていた。

 

その先の”美しいカーブ”で振り返って。

 

旧水路際かどうかは不確かだが、お寺(瑞聖寺)の敷地沿いの木々も手厚く扱われていた。

 

塀より先に木があった。

道はすぐ先で目黒通りにぶつかる。白金台駅の出口の横。

用水は目黒駅側に遡り、日の丸自動車教習所の横を通って代官山を過ぎ、旧山手通りを駒場東大へ向かい、世田谷区北沢で玉川上水から分流していた。

 

こちらの方のブログに詳細なレポートがありました。

Photograph@TUNEs : 三田用水跡