墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

市ヶ尾横穴古墳B支群(市ヶ尾遺跡公園) 神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町

前回のA支群を見た後に斜面に向かって右方向へ少し上がります。

上る手前にあった解説板(ぶれました)

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左端だけピックアップ。

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古代社会と横穴墓
古墳がさかんにつくられた時代を古墳時代(4~7世紀)と呼んでいます。
古墳は九州から東北地方まで広く分布していますが、この時代の特徴は日本にも統一的な国のしくみができたことです。農耕社会が発展し、人々の間には貧富の差や身分の差が生じ、各地に有力な豪族があらわれていました。これらの豪族たちをさらにまとめて大和政権が誕生したのです。古墳は、こうした豪族たちの墳墓として、彼らが支配する地域を見わたすような場所に、自然の地形を利用したり、人工的に土を盛り上げたりしてつくられました。古墳時代後期(6~7世紀)になるとこうした豪族たちの下で、村の中にも貧富の差が広がり、家父長を中心とする農民の家族が成長してきます。彼らは水田耕作に適した河川の中・下流ばかりでなく、上流域の丘陵地帯にも耕地を開き、集落を営み、横穴墓や小さな円墳などの群集墳をつくりました。

 

そこからB支群への道。

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B支群も、斜面をコンクリで補強されていました。

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解説板のあるキューブ自体が、アート作品のような雰囲気。

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B群横穴墓
B群横穴墓は、A群横穴墓から南へ約40m離れた丘陵西側斜面につくられています。横穴墓群は7基から構成され、これらは発掘調査によって6世紀後半から7世紀後半にかけてつくられたことが明らかになるとともに、B-1 小群(1~5号)とB-2小群(6・7号)の2つの小群からなっていることがわかりました。また、それぞれの横穴入口部の前面には、比較的せまい前庭部がほぼ平坦につくられています。
なかでも、B-6号横穴は、被葬者を安置する玄室部分が方形で、複室構造という特徴的な形態をもった横穴で、市ヶ尾横穴墓群の中では、つくられたのが一番古い横穴です。さらに、B-2・5号横穴からは、横穴の各部から装身具、土器などの豊富な副葬品が出土し、当時の葬られた人々の姿を、そのままうかがい知ることができます。

 

開口部周囲もしっかり補強されています。

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中には2つの仕切り壁。

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奥側のものを。

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開口部を。リュックを置く位置をしくじりましたが、ずりずり2度入るのも厳しかったのですみません。

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ここも立入禁止の穴がありました。

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きれいに描かれた展望図がありますが、この位置では木々が繁って展望なし。

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A支群前の広場からの眺望です。右端の屋根の先に稲荷前古墳が写っている?

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富士山の頭をズーム。

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古墳公園を出て振り返って。

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この階段が気になったので昇ってみます。

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さきほどの古墳公園がある斜面の頂部が残っていました。右も手前も削られましたが。

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かろうじて残った古代。残ってよかったです。

 

そこから西の眺望。目の前が市ケ尾小学校です。

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市ヶ尾横穴古墳A支群(市ヶ尾遺跡公園) 神奈川県横浜市青葉区市ケ尾町

10月24日の日曜日、東急田園都市線沿いの住宅街にある横穴墓を見学。

下車した駅は「市が尾」、住所は「市ケ尾」ですが、マップや現地看板が「市ヶ尾」だったのでブログではそれに合わせました。

 

古墳歩きをはじめた頃に当駅から徒歩20分の稲荷前古墳群を訪ねています。このときはブログタイトルも今とは違っていて(名前’s diary)非公開の備忘録。現在のタイトルにして公開したのは2014年からです。

このとき次の機会にと思っていたものが、8年経ってしまいました。

 

駅北口の坂を上がると厚木街道(国道246号)の歩道橋を渡ります。

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丹沢山系がよく見えました。中央の富士山の山頂部分も。

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旧大山街道から枝道に入り、長閑な住宅街を登っていきます。

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高く盛土された市ケ尾小学校の西側に突き当たって左折。

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すぐ先に「市ヶ尾横穴古墳群」のサインが。

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整備された古墳公園でした。

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園路の先の広場。後ろの斜面に横穴墓が残っています。

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広場にある解説板。

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12個並ぶ横穴墓平面図。並びが歯のレントゲンのよう。

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解説文は下記。

昭和57・58年(1982・1983)、横穴群前面の広い前庭を発掘調査した結果、それぞれの横穴入口にいたる墓道が発見され、横穴のつくられた順序なども推定できるようになりました。また、A-4号横穴の前庭部からは、須恵器の甕の破片が並べられたような状態で出土しました。この頃の須恵器は日常用品の土師器とちがって、古墳に葬られる死者にそなえられたり、墓前の儀式に使われる貴重な土器でした。古代の人たちはどのような思いをこめて、この大切な須恵器を墓の前で割ったのでしょうか。

 

この地域が住宅街になる以前(昭和31年)の貴重な写真も。

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少し上がったところに横並びの開口部。斜面はコンクリで保護されています。

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2つだけ閉塞されていない横穴墓が。

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入れる感じです。

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奥壁の手前側に高さ20㎝ほどの仕切り。

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奥壁を。なんとここでカメラのフラッシュに不具合が。

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天井の様子。岩盤を削った後が残っています。

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奥壁を背にして。

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ドーム状に整えられています。

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外に出て振り返って。

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手前にあったA-8号横穴の概要。奥に向かって幅が広がり、床面が上っているので水はけもよさそうです。

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隣のA-9号横穴も開口していますが崩落があるようで立入禁止です。

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そこから左手を。集合住宅的雰囲気が感じられました。

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上記の右に、ちょっと間をあけてA-12号横穴。

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ガラス越しに内部が見られますが、暗くてよくわかりませんでした。

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A-12 号横穴の解説。ガラス越しに副葬品の復元展示を見学できたようです。

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検索すると横浜市による解説がありました。

市ケ尾横穴古墳群(いちがおおうけつこふんぐん)

昭和31年2月19日 県指定史跡

市ケ尾横穴古墳群は、6世紀後半から7世紀後半にかけて、作られたA群12基・B群7基の計19基の横穴墓からなっている。昭和8年(1933)と昭和31年(1956)に発掘調査が実施された。前庭部と呼ばれる横穴墓の入口前の広場部分から刀・土器類などの遺物が発見され、死者を祀る何らかの儀式が行われていたと考えられる。また、各横穴墓の内部の構造には各種の形式が見られ、時代とともに次第に変化していった様子がうかがえる。昭和58年にA群、平成6年にB群の保存整備が実施されている。

市ケ尾横穴古墳群 横浜市青葉区