墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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岩名古墳 千葉県野田市岩名

今回は10月2日の土曜日に訪ねた千葉県野田市の古墳を。

岩名古墳は、東武野田線の清水公園駅から徒歩25分の、江戸川堤防近くにあります。

 

駅前にタクシーはなかったので、途中の清水公園などを見ながら歩きました。

新興住宅地の先にありました。

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標柱に説明あり。

7世紀初頭の円墳で、径約18m・高さ約1.8m。

岩名の洞窟(岩穴)と呼ばれ、地名の由来といわれているそうです。

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野田市のサイトによれば、墳丘裾に幅1.8m・深さ60㎝の周溝が廻り、横穴式石室が残っている、とも。平成7年に野田市史跡の指定を受けています。

岩名古墳(いわなこふん)|野田市ホームページ

 

墳丘へ上がる階段。周りの土地が掘り下げられているからか、とても大きく見える墳丘でした。

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最上部に残っている部分が墳丘。

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横穴式石室が開口。

向きは南東約150度(時間に余裕があったのでスマホで調べてみました)

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しっかり補強されています。

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しかし、玄室への入口は土嚢でふさがれていました。

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ぶじんさんが3年前に訪ねられた時には解説板があり、それを見て、石室保存処理がなされる前にドーム状の石室の天井部が開口していたこと知りました。

岩名古墳 野田市岩名 - 週末は古墳巡り

 

踏み跡をたどって墳頂へ。

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こちらは住宅地側。

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反対側にはグランドが。

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開口部の背面側からみた墳丘。

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グランドの様子。

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グランドの荷物置き場の名前に「こふん」の名前が。(古墳の絵も!)

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そのすぐ西側に江戸川堤防が。

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堤防から振り返った古墳の木立と住宅街。

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江戸川上流方向。ここは河口から41㎞地点でした。

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弁天池塚古墳(の辺り) 東京都狛江市元和泉(狛江駅北口)

狛江駅の北口駅前には森に近い林が残っている。広さ2.1ha。

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狛江弁財天緑地保全地域。

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昭和2年(1927)に小田急線が開通した直後にここに建てられた料亭・荒木邸の跡地だそう。

http://www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/41,112791,c,html/112791/20210105-091245.pdf

 

毎月第二日曜日に開放されているそうです。

2021年10月は本日ですね(訪ねたのは9月26日)

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グーグルマップには、緑地内に弁天池塚1~3号墳のピンがたっているのですが…

柵の外から、その3号墳のピンのあたり。

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1号墳のピンのあたり。

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石が気になるところですが。

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ぐるりと回り込んで、泉龍寺弁財天池の祠。

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池の脇には弁財天の石像も。

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池については解説板も。

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狛江市史跡 泉龍寺弁財天池
この池は、市民に「しみず」という名で親しまれています。
「和泉」という地名もこの池からうまれたものと推定されます。
伝説によると、今から約1200年以上も前の奈良時代に全国的な大旱魃があり、東大寺開山として有名な良弁僧正がこの地において雨乞いを行ったところ、竜神が現われて雨を降らし、その時に水が湧きだしたということです。旧「和泉村」の雨乞いの行事をする霊泉として信仰を集めてきました。池の中島には元禄6年(1693)にできた石の祠があり弁財天がまつられています。
いつの旱魃にも涸れることなく、その豊富な水量で下流の水田の灌漑用水に利用されてきましたが、昭和47年11月に涸れてつきてしまいました。昭和48年3月12日に、狛江市史跡第一号に指定され、復元工事が行われました。
平成13年3月 狛江市

 

そのあたりの柵越しに緑地内の土盛りを。

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こちらは泉龍寺の山門。

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山門前のモダンな看板建築は、三味線の店でした。

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