墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

赤土山古墳 奈良県天理市櫟本町

前回のつづき。

和爾下神社から赤土山古墳までは400mほど。住宅街の緩い坂道を歩いた。

 

坂を上りきると、赤土山古墳の墳丘が出現した。

 

石碑の横の説明板。 

わに氏の里
天理市の北部には、かつて「わに坂」と呼ばれた地域があり、古代の有力者「わに氏」の本拠地だと考えられています。櫟本町東大寺山古墳群には、東大寺山古墳(全長140m)、和邇下神社古墳(全長110m)赤土山古墳(残存長106.5m)など古墳時代前期に造られた大型の前方後円墳が存在し、「わに氏」の祖先にあたる人物の墓だったと思われます。日本書紀古事記の記載から、古代の政権に深い結びつきを持つ武力に優れた豪族であったことがうかがわれます。


赤土山古墳
東大寺山に立地する赤土山古墳は、別名アカンドヤマ古墳、あるいはアカトヤマ古墳と呼ばれています。古墳時代前期後半に造られた大形の前方後円墳で、東西に主軸をもち、埋葬施設がある後円部と儀式の場である前方部が築かれています。墳丘は、上下2段築成で表面には葺石をほどこし、頂上と段築面には埴輪列を並べています。後円部の東側には、「造り出し」と呼ぶ儀式の場があり、前方部とは区別しています。また、家形埴輪を並べた祭祀遺構が、「造り出し」の南側から出土しています。赤土山古墳は平成4年12月15日に国史跡指定を受けました。

 

わくわくしながら階段を登る一行。

 

中心軸は東西方向。

一本だけ残して草木が刈られ、形がよくわかる墳丘。全長は106.5m。

 

グーグルアースでも、前方後円の形が見てとれる。

 

前方部から後円部へ。

 

後円部から前方部。上下2段築成の前方後円墳。当初は中段平坦面と後円部墳頂に埴輪列があり、斜面には葺石が施されていたようだ。

 
後円部から西南西方向。奈良盆地を見渡す雄大な眺め。

 

ズームすると二上山も(右端)

 

南側は岩屋谷で名阪国道が通る。向かいの丘陵は石上町で、古代は物部氏の勢力範囲だった。

 

南東側の後円部裾には祭祀遺構があり、埴輪が再現されている。

 

上記の中央やや右をズームで。

左側の橋脚のすぐ左上、ビニールハウスに覆われた斜面は、ウワナリ古墳の前方部になる。

 

後円部の東~北はmシャープ株式会社の総合開発センター。

 

後円部のすぐ先のビルは社員寮のようだが、今は廃墟の風情があった。奥の山の頂上付近にも東大寺山25・26号墳がある(探訪困難:小規模前方後円墳

 

後円部南側の斜面。古墳築造後の地滑りによって形成された滑落崖があって、調査開始当初は前方後方墳として認知されていたそう。

 

後円部南側の墳裾。

このあたりの堆積土からは器財埴輪や腕輪形石製品や石製模造品などの副葬品多数出土した。埋蔵施設の未調査だが、後円部の調査により、粘土槨が地滑りにより破壊され、転落したと推定されている。

 

下から見上げる後円部南側(地すべり部分)

 

詳しい説明板もある。

地震の痕跡
赤土山古墳から地震の跡を示す地層の歪みが見つかりました。埋葬施設のある後円部は地震によって墳丘が崩落し、築造当時は現在よりも南側に広がっていたことが、埴輪列や葺石の出土状況から分かりました。勾玉や管玉など副葬品は、埋葬施設の崩落によって流出し、古墳の頂上に並んでいた円筒埴輪や朝顔形埴輪も地すべりによって崩れていました。しかし、その埴輪列の一部は原形を保った状態で出土し、築造当時の様子を伝える貴重な発見になりました。そして、原形のまま出土した埴輪列の状況から、地震は古墳築造後、間もなくして起きたと推測されます。

 

出土遺物
埋葬と共に墓の中へ入れる品々を副葬品と呼んでいます。発掘調査では、大小の勾玉、管玉、杖飾りと思われる玉杖形石製品、杖の軸部を思わせる筒形石製品、合子と呼ばれる石製品で小物入れの蓋、小型ナイフを模倣した刀子、腕飾りの鍬形石や石釧など副葬品が出土しています。他に、盾形埴輪、短甲形埴輪、腰にまとう草摺形埴輪など武具を模倣した埴輪、きぬがさ形埴輪など形象埴輪の破片も出土し、後円部の頂上には多数の埴輪が並べられていたと思われます。

 

上記の東側には多くの家形埴輪が建ち並ぶ、祭祀遺構が再現されていた。

 

谷間のように形づくられた場所におかれた囲形埴輪。

 

 午前の部の講義の際に実物も拝見した。

 

現地の説明板。

家形埴輪祭祀遺構
「家形埴輪祭祀」は、たくさんの家形埴輪を並べているのが特徴です。古墳の裾に高さ1mほどの平坦面を造り、突出部や入り組んだ地形を表現しながら家形埴輪を整然と並べています。その平坦面には、向き合うように家形埴輪を並べた北側のグループと、横一列に家形埴輪を並べた南側のグループがあり、入り組んだ地形の谷間から囲形埴輪が出土しています。このような情景的な表現で祭祀遺構を造り上げたものはめずらしく、家形埴輪の貴重な資料であるためレプリカで復元しました。

 

埴輪の特徴

赤土山古墳には、屋根の先端た大きく突き出た「切り妻造り」の家形埴輪や、寄棟造りに切り妻造りを重ねた「入母屋造り」の家形埴輪があり、屋根を茅葺きや藁葺きのように表現しています。
家形埴輪の形には、壁に窓と入口のある住居、壁と入口だけの倉庫、床を高く築いた高床建物があり、囲形埴輪は水を引き込む祭祀場だと考えられています。他に、鳥形埴輪や有力者の帽子を表わした冠帽形埴輪も出土しています。 

 

賑やかな雰囲気で、”都市”が表現されているように感じた。

 

少しひいた位置から。

 

実際にあった風景を写し取ったようにも。

上記の奥、一段高い手摺のある場所は後円部の頭(東側)についた「造り出し」だった。

 

その「造り出し」から見上げた後円部。

 

現地の説明板。

造り出し
造り出しは前方部と同じく儀式を行うための場所と考えられています。赤土山古墳の造り出しは後円部の東側にあり、前方部とほぼ同じ高さにつくられていることが大きな特徴です。現在の造り出しは長さ10m程度ですが、削られた部分もあることから、古墳がつくられたころにはさらに大きなものであった可能性があります。
発掘調査では、造り出し上面にも円筒埴輪が並べられていることがわかりました。円筒埴輪は造り出しの形に沿って、約2.8~3m間隔で立ち並んでいました 

 

後円部墳頂から見た造り出し。削られる前はどれほど先があったのか。

 

いただいた資料の実測図(左が北) 帽子をかぶるように造り出しがある。

 

通常、古墳の造り出しは低い位置に取り付く。

「前方部と同じぐらいの高さ」を持つ点は、天理市櫛山古墳と共通する特異な特徴とのこと。とすると、赤土山古墳は「双方中円墳」かも知れない?(現地では埴輪に夢中になっていて造り出しに気づかず、質問しそびれました)

 

墳丘の北側面。後円部からくびれ部、前方部。

 

そこにあった説明板。 

くびれ部
赤土山古墳は、当初前方後方墳だと考えられていましたが、前方部と後円部の境目にある「くびれ部」の調査によって直線的な形状の前方部と、円形に築いた後円部が検出され、前方後円墳であることがわかりました。くびれ部には葺石が残っており、墳形に沿って埴輪列も出土しています。


円筒埴輪と朝顔形埴輪
赤土山古墳の埴輪列には、円筒埴輪と朝顔形埴輪が並べられています。円筒埴輪は土管のような形をした埴輪で、土器を乗せて使う器台が原形だと考えられています。朝顔形埴輪は、壺を円筒埴輪の上に乗せた形で、口縁部がラッパ状に大きく開いているのが特徴です。古代の人々にとって壺は蓄えるための大切な道具で、大きな壺をたくさんもつことが富を象徴し、それが埴輪となって古墳に飾られていたと考えられます。

 

 前方部北側裾から後円部。

 

前方部麓の左隅から。 

 

そこにあった説明板。現地で読む時間がなかったが、掘割遺構と2号墳も見られる。

掘割遺構と2号墳
赤土山古墳の前方部先端には、幅およそ8m、深さ2mほどの地山を掘削した空堀があります。これは古墳の領域を示す遺構で「掘割」と呼んでいます。前方部先端は2段築成で葺石を施し、段築には埴輪が並んでいたと思われます。掘割を隔て西側には2号墳があり、墳形は径20mほどの円墳です。墳丘は2段築成で、段築から大形の円筒埴輪を用いた埴輪列が出土しています。築造時期は赤土山古墳と同じ古墳時代前期後半だと思われます。墳丘の頂上はすでに削平を受け埋葬施設は残っていませんが、副葬品だと思われる石釧の破片が出土しています。