墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

山政醤油醸造所煉瓦塀 東京都中野区中央

先日、中野区立歴史民俗資料館へ行った際に、入口横のガラスケース内にあったレンガ構築物の説明が気になっていた。

山政醤油醸造所レンガ塀

このレンガは、山政醤油醸造所の塀に使われていたものです。レンガ塀は明治32年(1899)に造られたと推定されます。山政醤油醸造所は明治5年(1872)に創業されました。所在地は現在の中央2-32でした。当時、醤油や味噌の醸造は、蕎麦粉製造と共に中野の代表的な地場産業で、青梅街道沿いは、中野の商工業の中心地として賑っていました。山政醤油の生産高は中野の産出量の8割を占めました。その敷地は宝仙寺の仁王門の西側あたりを北限に青梅街道を越え、現桃園小学校に接する広大なものでした。
現在、仁王門から約170m西の公園内にレンガ塀が移設されています。レンガ塀は、石灰・つのまた(海草)・砂を練り固める日本の伝統的なしっくい壁の技術と、「フランス積み」といわれる美しいレンガ積みの工法で造られていました。中野の初期洋風レンガ構造物とされる浅田銀行本展を手掛けた中野在住の棟梁と弟子達によって、醸造所の蔵とレンガ塀が築かれました。

 

住所(中央2-32)を頼りに中野坂上へ行くと、団地の片隅の小公園に塀の一部分が移築されていた。

 

説明にあった写真では、もう少し長く残っているように見えたが・・・

 

フランス積みの壁面の上部は、屋根と垂木のような意匠になっていた。

 

小さなアーチ窓。

 

扉の上部の積み方も見事。

 

現地の説明板(内容は前出の歴史民俗資料館のものとほぼ同じ)

 

醤油つながりで、野田市の茂木本家の煉瓦塀を思い出した。

massneko.hatenablog.com

 

味噌醤油の醸造や蕎麦粉製造が代表的な地場産業だった明治期の中野・青梅街道沿いはどのような雰囲気であったか。

 

裏の駐車場側は鉄骨で頑丈に補強されていた。

 

土曜の午後だったが、公園で遊ぶ子はいなかった。 

 

蔦に覆われた迫力の樹木。

 

根元はフェンスと一体化していた。

 

面する道は宝仙寺の墓地沿い。