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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

三変稲荷神社古墳 龍池弁財天 埼玉県川越市小仙波町

埼玉県の古墳、寺社、遺跡

前回のつづき。

喜多院の山門から徒歩8分ほど、住宅地の中を歩いていくと鳥居が見えてきた。 

直前に子どもが3人、元気よく駆け出してきて走り去っていった。

 

三変土田稲荷は喜多院が所有する神社で別名は榎の木稲荷。ただし、聳えている大木は榎の木ではなくてムクノキだった。

 

裏に喜多院と彫られた石碑。 

 

三変土田は検索すると創価学会系のサイトが多くヒットするが、法華経で土地・国土(土田・娑婆世界)を三度にわたって変えて(三変)仏国土にすることを意味するようだ。

喜多院の公式サイトでは榎の木稲荷となっていて下記の説明がある。

昔、喜多院に長い間住んでいた化け上手な白い狐が正体を見破られ、おひまをもらいお寺を出ることになりました。そこで白い狐は尊海僧正にお礼だと言い、「2500年も前の釈迦(仏教の開祖)が布教をしている姿をお見せいたしましょう。そのかわり、私が化けている間、一言たりとも声を出してはいけませんぞ。」と言いました。尊海もそんな尊いお方が夢でも見られるのはありがたいことと、かたく約束しました。

ところが白い狐のいったことが本当に目の前で展開されますと、さすがの尊海も思わず「ああ、ありがたや、南無阿弥陀仏」と声を出してしまいました。と、そのとたん釈迦のお姿は消え、榎の木に登って化かしていた白い狐はもんどりうって落ちてきて、死んでしまいました。

尊海は哀れみ、榎の木の下になきがらを祀りましたのが、この榎の木稲荷だということです。

 

鎌倉期・喜多院の尊海僧正に由来することはわかったが、これを「釈迦が布教している姿」=「三変土田」と解釈するのか、それとも「榎の木稲荷」の方の説明だけに留まっているのかは、はっきりしなかった。

こちらの東武鉄道ポータルサイトに「三変」は、上記の白狐が天竺・中国・日本の三世界に各千年ずつ生きたということに由来するとあった。

 

大きな鳥居の後ろに赤い鳥居が6つ並ぶ。

 

現地説明板。4世紀後半は川越市最古の古墳であり、方墳としては埼玉県最古。

三変(さんぺん)稲荷神社古墳(市指定・史跡)
当古墳は、4世紀後半(古墳時代前期)に、この地方の首長墓として築造された一辺約20m余りを測る方墳で、入間郡最古の古墳の一つとされる。
近隣から表採された鼉龍鏡(だりゅうきょう)と碧玉製石釧は、呪術的な首長の権威の象徴として、畿内王権から下されたものである。古墳周溝からは、墳丘を囲うように樹立していた壺形埴輪が出土している。
平成12年4月指定 川越市教育委員会

 

一辺が20mの方墳とのことだが、墳形は不明瞭だった。

 

横から見た墳頂の祠。

 

空を覆うようなムクノキ。

 

幹周りも大きな根元。

 

古墳の裏には遊具があった。

 

背の低いブランコも。

 

緩い傾斜の石段を上がって参拝。

 

祠の狐様の表情は険しかった。

 

 墳丘から東側。300mほど先に新河岸川が流れる。家々の間から先の地形が少し下がっている様子が見て取れた。

 

西側は住宅地に残った畑。

 

祠の裏側から。

 

 

三変稲荷神社古墳を見学後、東側に下がっている地形を確認しようと歩いていくと、時階段に突き当たった。

 

向こう側の広場が気になったので、道路(写真右)を横断。

 

説明版が立っていた。

龍池弁財天
はるかな昔、このあたりは、大きな入江(海)だったと云われています。
仙芳仙人(せんぼうせんにん)がここを霊地(神聖な場所)と感じ、お寺を建てようとしましたが、適当な土地がありません。ある日、仙芳仙人は、この入江の主で竜神の化身である白髪の老人に会い、その老人にお寺を建てる土地を必要としていることを告げると、老人は、袈裟を差し出し、この袈裟のひろがっただけの土地を授けようと言いました。そこで仙芳仙人がその袈裟を投げると、みるみる袈裟は広がり大きな入江を覆ってしまいました。竜神は驚き、自分の住む所が無くなってしまうと嘆いたので、竜神のために小さな池を残して弁財天をまつりました。それがこの弁天池と云われています。
平成17年3月吉日 喜多院

 

コンクリ製の祠。

 

そこから右へのパノラマ。

 

斜面下には池(双子池)があり、鯉も泳いでいた。

 

こちらは鳥居の名残りか。

 

この場所も喜多院が管理しているようだが、喜多院のサイトには喜多院前の日枝神社にこの池までつながる深い穴があったという伝説が紹介されていた。

底なしの穴 - 川越大師 喜多院

穴の入口跡は現在の日枝神社にもあるようだが(日枝神社 | カワゴエール)、かつて日枝神社古墳にあったであろう横穴式石室のことではと想像をめぐらした。

つづく。