前回のつづき。
三変稲荷神社古墳を見学後、氷川神社古墳へ向かった。
川越の氷川神社で検索すると”古墳時代(欽明天皇2年・541年)の創建”とされる氷川神社がヒットするが、そちらは喜多院の北1kmに鎮座する、例大祭で著名な神社。
川越氷川神社 | 古墳時代 | 時代旅行、川越。 | 東武東上線情報 | 東武鉄道ポータルサイト
古墳が現存する方の氷川神社は仙波氷川神社とも称され、喜多院から南に1km強の国道16号沿いにある。
道沿いの住宅地には起伏があり、上ったり下ったりの行程だった。
氷川神社境内入口。
小さな円墳があった。
現地説明板はない。築年代も想定されていないようだった。
古墳のすぐ隣に神社拝殿が。左奥の境内地はちょっとした公園になっていて何組かの親子で賑っていた。
神社境内は台地の端にあり、すぐ裏(東側)を国道16号が通っていた。
国道側を背にして。境内の一画は彼岸花の名所になっているそう。
境内の端で。
国道の先はさらに標高が低く、広く見渡せるようになっていた。
境内の南側は切り通しとなっていて下に道路が通っていた。
切り通しの道は国道16号の下をくぐる。神社から16号や下の道に下りる階段がつけられていた。
上記の橋の上から見た切り通しの道と神社境内(右側)、古墳も写っている。
国道16号の歩道から。東が氷川神社。
次に向かう愛宕神社古墳は国道の南側になるので、下をくぐってみた。
すると、仙波河岸史跡公園の入口があった。
一歩入ると広がる緑。あずま屋の左が、かつての河岸だった。日が沈んでしまったので水面確認は次の機会とした。
街の東で荒川と入間川が合流し昔から交通の要衝であった川越は、江戸期に城下町として大いに栄えたが、鉄道が通るまでは物流の主役は新河岸川の舟運だった。
川越には江戸期に5つの河岸場が設けられていたが、明治の初め、市街により近い場所に仙波河岸が開削されて作られた。川越五河岸 - Wikipediaより。
新河岸川は下流では岩淵水門で荒川からの分岐を受けながら隅田川になる。
その前に朝霞の近くでは黒目川と合流する。
天神社~さいかちの道(黒目川上流域)~小平霊園 東京都東久留米市柳窪 - 墳丘からの眺め
柊塚(ひいらぎづか)古墳(柊塚古墳歴史広場) 埼玉県朝霞市岡 - 墳丘からの眺め
仙波河岸 - Wikipediaによれば仙波河岸は、愛宕神社崖下の「仙波の滝」からの水の流れを利用して開設されたとのこと。
石垣の樋からは昭和の中頃まで水が流れていたそう。今でもポンプで汲み上げた水を長流している時もあるようだ。
さきほど通ってきた氷川神社隣の切り通し道は、仙波河岸と川越街道を結ぶために明治初期に新たにつくられた荷物運搬用の道だった。
ときどき拝見させていただいているこちらのブログに、この仙波河岸公園が取り上げられていました。明るい緑、澄んだ水のきれいな写真があります。
次回は上記にもある愛宕神社古墳です。