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墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

旧仙台坂(くらやみ坂)・八木仙台味噌醸造所・海晏寺界隈 東京都品川区東大井・南品川

前回のつづき。

大井公園を第一京浜側に降りて、並行する道を北へ進んだ。

旧仙台坂の手前の斜面は中層のマンション群。ここもかつては伊達藩・鯖江藩の敷地だった。 

 

泊舩禅寺で突き当たる。右へ回り込んだこの先が旧仙台坂になる。

 

第一京浜側から見上げる旧仙台坂。車道はトンネルで傾斜を緩くして台地上へ抜ける。

赤いポールの先は車も通れる。

 

信号を渡って北側の歩道を上る。坂名は「旧」仙台坂になってしまったが、車道は「仙台坂トンネル」を上がる。

 

歩道の右は海晏寺(かいあんじ)の墓地。

 

斜面も墓地になっている。

 

仙台坂トンネルの上部から第一京浜側。

 

トンネルの上あたり、標高の高い部分は歩道が整備されて広場のようだった。

 

歩道に「旧仙台坂(くらやみ坂)」の標柱があった。

 

裏側に解説があった。

旧仙台坂(くらやみ坂)

江戸時代に、この坂の中程から上にかけて仙台藩伊達陸奥守の下屋敷があったことから、東大井4丁目と南品川5丁目の間のこの坂は仙台坂と呼ばれていました。
しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。

 

今はひらけているが、かつては道の両側から木々が覆いかぶさる狭い急坂でもあったのだろう。

 

坂上には樹齢300年ほどのタブノキの巨木もある。

 

品川区の天然記念物。瀧王子稲荷神社タブノキよりも古そう。

 

幹周り4.6m。

 

東京都遺跡地図を見ると、かつてこのあたりに大井林町古墳(円墳)があったことがわかる。タブノキのある辺りが円形に残されているので古墳跡の雰囲気を出しているが、遺跡地図では少し北の道路上のようにも見える。

仙台坂トンネルの大井町駅側出口上の生け垣も見ようによっては・・・(実際はこの右後ろあたりかと)

 

上記の位置から大井町駅側(西)に歩いていくと、信号手前に木造の味のある建物がある。

 

伊達藩時代からの老舗の味噌蔵だった。

下記は東京都味噌工業協同組合 八木合名会社仙台味噌醸造所の解説より。

当地は伊達藩の江戸下屋敷だったが、藩の食料備蓄で寛永2年から味噌蔵を建てて醸造を始めた(当時の江戸の味噌は甘口で東北武士の好みに合わなかったとも)

江戸末期に余剰の味噌を一般販売すると仙台味噌として有名になり、維新後は仙台から呼ばれた八木家が引き継いで明治35年に合名会社となって今日に至っているそうだ。

 

時間の都合で外からの写真のみ。次の機会で購入したい。

 

海晏寺の方へ戻る。旧仙台坂上から枝道へ、お寺の敷地に沿って北へ進んだ。

 

東京都遺跡地図や品川区のサイトによれば、海晏寺の墓地に「品川区No18遺跡」の印があり、須恵器や円筒埴輪、人物埴輪も出土した古墳と書かれている。

埋蔵文化財包蔵地一覧|品川区

 

玉垣の隙間から。お墓の先の土盛りが気になったが、地図によればもう少し北寄りのようだった。

 

台地上には墓地の入口がなかったので、海晏寺の山門を目指して敷地周囲を時計回りに進んだ。歩いていくと細道の魅力が増してきた。

このY字路は右へ。

 

徐々に下りになる。

 

途中で振り返ったところ。

 

やがて階段が出現。

 

降りて振り返ったところ。

 

自然に還っているようなお宅もあった。

 

左手の枝道をちらりと見ると、現在の仙台坂に続いていた。

 

さらに細くなる道。

 

左手は行き止まり。

 

右手は第一京浜へつながっていた。

 

大通りを右に行くと、海晏寺の煉瓦造りの山門があった。

 

逆側も瓦を載せた煉瓦塀。案内板(?)がまっ白なのはホワイトボード代わりなのか。 

 

海晏寺|品川区によれば、創建は建長3年(1251)で、臨済宗の寺として開かれ、江戸期には御殿山の桜と並ぶ紅葉の名所として有名だったとのこと。

 

シンプルな本堂前。現地の解説や案内図は見かけなかった。

 

岩倉具視(1825~1883)や松平慶永(1828~1890)などの墓があるそうだが、斜面から上がる墓地へのルートには鍵がかかり、「無断立入禁止」の札がかかっていた。

岩倉具視 - Wikipediaの墓などは一般人でも参拝希望者がいるように思えるが・・・

ということで、古墳跡を見ることは叶わなかった。

が、このあたりは台地東端がくの字形に突き出た部分なので、山内容堂墓地(300m南)と同じように江戸湾が見渡せる眺望のよい場所だったのだろう。

どちらもそばに古墳があることは、古代からそのように人を惹きつける場所だったことを示しているのでは。