墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

大井町駅前・品川白煉瓦の碑~ゼームス坂~レモン哀歌の碑~天龍寺煉瓦塀~龍王寺三重塔 東京都品川区大井・南品川・北品川

品川歴史館で東海寺に興味を持ったので、大井町駅から歩いてみた。 

大井町駅は、JRと東急が交差し、地下にりんかい線が通る上に斜面上に造られて複雑な構造をしている。

斜面の下側のJR改札西口を出ると煉瓦柱のある案内板があった。

 

煉瓦柱には品川区民憲章が。

 

足元に品川白煉瓦・品川硝子の説明板があった。

煉瓦は品川白煉瓦で造られ、その後”出土”した実物だった。

品川白煉瓦
ここに使われている煉瓦は、明治20年代に北品川にあった品川白煉瓦会社で製造された耐火煉瓦で、1987(昭和62)年に仙台坂遺跡(東大井4-2)から出土したものです。
品川白煉瓦会社は、工業の祖といわれる西村勝三氏らによって設立され、国産の良質の白煉瓦を生み出し、製鉄造船業をはじめ日本の近代工業の発展に大きく寄与しました。

品川硝子
品川は、日本のガラス工業発祥の地です。
わが国最初の洋式ガラス工場として、1873(明治6)年に東海寺裏の目黒川畔に設けられた興業社が、1876(明治9)年に工部省に買収されて官営の模範工場となりました。舷灯用紅×××(読めず)・日用ガラス器・カットグラスなどを製造していましたが、1885(明治18)年に西村勝三氏らに払い下げられ、民営に変わりました。
煉瓦造りの工場の一部は、明治初期の貴重な建築物として、1968(昭和43)年に愛知県犬山市明治村に移築され、山手通り沿いの工場のあった場所の近くには碑が残っています。

 

裏側から。 

 

大井町駅東側の魅力的な飲み屋街の先から、ゼームス坂が下り始まる。緩い傾斜・緩いカーブの長い坂(400m)だった。

途中で振り返ったところ。

 

なんと標柱を見逃してしまったが、区のサイト・ゼームス坂(旧浅間坂)|品川区に詳細な解説があった。

JR大井町駅から第一京浜国道15号線)に出る道にあるこの坂は、もと浅間坂(せんげんざか)と呼ばれていて、非常に急な坂でした。明治時代、この坂下付近に住んでいたJ.M.ゼームスという英国人が私財を投じて緩やかな坂に改修しました。それ以来この坂はゼームス坂と呼ばれるようになりました。
J.M.ゼームス(1839~1908)は、幕末にジャーデン=マディソン商会の長崎支社の社員として来日し、明治5年(1872)に海軍省に入って、測量調査や航海術の指導を行いました。生前から仏教に帰依し、その墓は山梨県身延町久遠寺にあります。

 

坂の途中で東側に降りる枝道。上下2段に分かれている。

 

先へ入るとこんなに標高が変わった。

 

もとのゼームス坂にもどり進んでいくと「高村智恵子記念詩碑(レモン哀歌の碑)」のサインがあった。

 

横道に入ると結構な上り坂。左手のマンション入口に石碑があり、ここがゼームス邸跡地だったと知った。

三越 ゼームス坂マンション
ゼームス邸跡地について
此の処は南品川英国人ジョン・M・ジェームス邸跡地である。
M・ジェームスは慶応2年(1863年)28歳の時来日した。そして坂本竜馬等とも知り合い、後に日本海軍創設に貢献し明治5年海軍省雇入れ以降幾多の変遷を経て住まいを此の地に構え隣人に慕われつつ明治41年70歳にて没した。
墓は身延山本堂裏山に在り「日本帝国勲二等英国人甲比丹ゼームス之墓」と刻まれている。
その頃のジェームス在りし日を偲ぶ庭の欅も品川区の保存指定樹として樹齢百数十年の姿そのままに苔むす石垣を共に昔の面影を今に止めている。
昭和58年10月

 

品川区のサイトに人物伝がある。土地はマンションになる前は三越の縫製工場だったそうだ。 品川人物伝 第17回|品川区

 

その向かいに、レモン哀歌の碑はあった。

 

智恵子抄に収められた詩の一篇。とても切ない。

高村光太郎 「レモン哀歌」(詩集『智恵子抄』より)

 

まだ命日に近い日だったので、碑に備えられたレモンが残っていた。

高村智恵子詩碑
この地は、詩人高村光太郎氏の愛妻智恵子氏が、晩年、療養生活を送っていたゼームス坂病院があったところです。また智恵子氏は昭和13年10月5日、53歳のときにこの病院の一室でお亡くなりになられました。
品川郷土の会では、この貴重な文化的史跡を永く後世に残すため、詩碑を建立することにし、高村光太郎氏が、智恵子氏との永劫の別れを哀惜して詠まれた、有名な詩「レモン哀歌」を詩碑に刻みました。
碑は推定される智恵子氏の背丈にあわせ、文字は高村光太郎氏直筆の原稿をそのまま拡大して刻みました。
なお、この詩碑の建立にあたって、快く「レモン哀歌」の使用を承諾していただいた高村規氏、また、土地の使用を承諾していただいたゼームス坂病院跡地所有者、東京マックス株式会社に心より感謝いたします。

 

品川区のサイトには高村智恵子の人物伝がある。

品川人物伝 第13回|品川区

 

ゼームス坂に戻って先へ進む。ほぼ平地になってきたところで、立派な看板建築が。

 

裏道へ回っていくと昭和風の一画もあった。

 

こちらは天理教の建物。

 

さらに先に行くと、東關森稲荷神社(とうかんもり:東関森、稲荷森、藤花森とも)

 

奥に広い境内。

 

江戸時代末期の地誌・新編武蔵風土記稿にも記載があるそう。

 

再びゼームス坂に沿って。こちらの店構えもいい雰囲気。

 

ゼームス坂の突き当たりは天龍寺の山門。

 

静かな境内。

 

山門の内側から。道のカーブに正対しているようだった。

 

この天龍寺の南側に見事な煉瓦塀が残っている。

 

高さは170cmぐらいか。

 

整然としたイギリス積み。

 

そのまま左(西)へ200mほど行くと、日本ペイント 明治記念館も見学できる。

 

道側に少しとび出た部分があった。

 

こちらは天龍寺の東側の小道。

 

突き当たりには大龍寺の門がある。

 

参拝は次の機会とし、門の手前から左に向かう小道へ。ここも上下2段に分かれていた。

 

下の道から。

 

1.5mくらいの高低差になって、どちらも行き止まり。

 

振り返ったところ。

東京時層地図では天龍寺境内が縮小していった名残のように見えるが・・・

 

元に戻って第一京浜の大通りへ。すぐ北に経王山・本光寺があった。

 

境内には立派な松がある。

 

再建された(昭和60年)ものだが、端正な五輪塔

 

こちらも同時期に再建された見事な三重塔。

 

第一京浜に戻って東海橋。北へ目黒川を渡る。

 

上流方向。川の下を首都高速が通る。

 

次の交差点・北品川2丁目で左折して山手通りに入る。

西へ進むと現在の東海寺(東海禅寺)の参道があった。参拝は次の機会とした。

 

道を隔てて区立品川学園(小中一貫公立校)があるが、学校の隣に気になる一画があった。

 

塀の一部は赤煉瓦。内側は木造家屋だった。

つづく。