墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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舞台桜・麻績(おみ)の里 長野県飯田市座光寺 古墳と桜の飯田紀行(25)

座光寺小学校から”あそびのもり”を下りて、見事なシダレザクラへ引き寄せられる。

 

この時点でまだ9時前だったので人はまばら。

 

東側から。

 

朝の光を浴びて美しい色合い。

 

説明板がある。

舞台桜
この桜は五弁から十弁の花が交じり合って咲く姿から「半八重枝垂れ紅彼岸桜」と呼ばれています。旧座光寺学校校舎「舞台校舎」と共に子どもたちの成長を見守ってきた桜であります。

 

西側から。

 

胸高周囲約4m、樹高は約12m。

 

幹を反対側から。複雑に枝がからむ。

 

すぐとなりには、1階の間口が異様に大きな建物。

 

明治6年に建てられた学校は歌舞伎舞台と兼用だった!

長野県宝 旧座光寺麻績(おみ)学校校舎
昭和60年11月21日指定
この校舎は、明治6年に歌舞伎舞台と学校とを兼用するように建てられたもので、学校建物としては県下で最も古いものです。
大屋根の棟には建設当時の校名「麻績小校」が記されており、昭和59年までの111年間、学校として活用されていた貴重な建物です。また、農村の歌舞伎舞台としては県下最大級で、全国的に珍しいものです。
建物の構造は、木造二階建、一部三階建、桟瓦葺入母屋造で、正面一階は歌舞伎舞台、二階は教室として計画されました。一階正面には長さ八間の梁を渡し、その左右の大夫座・下座部分には二段の格子窓があります。舞台裏は一階が土間床、二・三階は畳敷きの部屋となっています。
平成9年3月に復元整備工事が完了し、建設当初の姿が甦りました。
平成11年7月 飯田市教育委員会

 

大きな梁が渡される。

 

旧校舎の西隣には「竹田扇之助記念 国際糸繰り人形館」もある。

 

見学者は次第に増えてきた。

 

石段の下に降りて。石垣は学校のために明治に築かれた。

旧学校大石垣
麻績学校第一次校地校舎拡張工事の一環として、明治31年10月1日完成す。
くぬぎの木の生えた傾斜地で子供の遊び場だった所へ長さ120m余の大石垣ができ麻績学校校舎と合わせた景観の偉容さに人々を驚嘆させた。座光寺史学会

 

公民館の屋根越しに見上げる舞台桜と旧校舎。

 

公民館の先には見事な桜がもうひとつ、こちらは次のエントリで。

 

舞台桜は飯田ケーブルテレビのライブカメラで、“今”の姿が見られる。

http://www.iidacable.tv/livecamera/95/