墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧安田楠雄邸・前編 東京都文京区千駄木

前回のつづき。

旧安田楠雄邸は本郷台地の上にあった。

現在は日本ナショナルトラストが保有する建物で、水・土曜日の10時~16時(入館は15時まで)一般に公開されている。入館料(維持修復協力金)は大人500円。

 

なんとしたことか玄関外観を撮りそびれた。

こちらで荷物を置いてボランティアガイドの方と共に中を廻る。一時間程のツアーになる。素足での入館は不可。

 

以下はいただいたパンフレットより。

旧安田楠雄邸は、大正時代から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を伝え、貴重な価値があるとして、平成10年(1998)3月に東京都の名勝に指定されました。

この建物は、「豊島園」の創始者である実業家・藤田好三郎氏が大正8年(1919)に建築したもので、旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の女婿・善四郎氏が大正12年に買い取り、お住まいになっていました。平成7年にご当主の楠雄氏が亡くなられたあと、幸子夫人が市民団体「文京区歴史的建物の活用を考える会」の助言を得て、平成8年8月22日に建物と庭園を公益財団法人日本ナショナルトラストに寄贈されたものです。

 

平面プランは下記のとおりの雁行型。「大規模で質の高い和風の邸宅が、関東大震災と第2次世界大戦の被災を免れて、ほぼ完全に残っている」のは奇跡的なことではないか。

 

玄関脇には電話室があった。その奥は書生室だったそう。

 

今も使っているような雰囲気、というより使っていた時代に移行した気分になる。

 

廊下の室内灯。邸内の灯具のデザインは23種を数える。

 

灯具などのスイッチ。平成9年ごろまで実際に使われていた。

 

玄関から入ってすぐに応接室。

 

灯具や家具、カーテンまでもが建築当時のままのもの。

 

暖炉の壁面は蛇紋岩、上部には当初からの油絵(須田輝洲・画)が嵌め込まれている。

 

柱頭には猿の浮彫り。

 

梟とリスもいた。

 

暖炉の右側はニッチにようなスペースでソファが作りつけられている。

 

ソファの隣の花台のようなものは蓋と開けると「手あぶり」という洋火鉢だった。

さすがに修復前は絨毯が傷んでいたが、国内に残っていたアキスミンスター織機で、当初のアキスミンスター織が復原された。

 

応接室の外側はサンルーム。

 

床は当時では最先端のゴム製。

 

天井は漆喰の”落とし塗り” 縁の花飾りは寒天の型に石膏を流し込んで作られている。

 

蓄音機は下部から音が出るタイプ。隣のピアノとともに実際に使える形に修復されている。

 

ピアノの後ろの「結霜(けっそう)ガラス:グルーチップ」

摺ガラスの表面にニカワを塗り乾燥させると、ガラス面に食いついたニカワが収縮し、表面を剥ぎ取って、芋虫が這ったような模様ができる。

 

庭がよく見える角の部分。天井も見事だったが撮りそびれた。

 

畳みが敷かれた廊下を次の間へ進んだ。

つづく。