墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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品川子爵(品川弥二郎)銅像 @九段下

先日、下記の本を読んだときに、九段下・靖国神社入口の常夜燈の隣にあった銅像の台座が辰野金吾作だと知ったので、鑑賞に出かけた。

 

常夜燈はこちら。

 

・品川弥二郎(1843~1900) 1907年建立  

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 以下は千代田区観光協会のサイト品川弥二郎 銅像より。

品川弥治郎の銅像は、九段南二丁目2、九段坂・牛ケ淵のお濠沿いの九段坂公園内にあります。

上野の西郷隆盛像や皇居前の楠木正成像の制作で知られる高村光雲の監督。原型作者は木山白雲、鋳造者は平塚駒次郎、建設者は西郷従道他2845名とされています。建設年月日は不明です。
品川弥二郎は長門の国、松木船津の長州藩足軽、品川弥市右衛門の長男として生まれました。15歳で松下村塾に入門。その後、長州藩士として尊皇攘夷運動で活躍。京都で倒幕運動に奔走しました。
維新後、明治3年(1870)戦争視察の命令で欧州に派遣。ついで留学を希望し、ロンドンに留まりました。その後も軍事を学ぶため兵部省からドイツに派遣され、次第に政治や経済に注目するようになりました。
駐独公使、農商務大輔(次官)などを歴任。明治17年(1884)子爵に。明治24年(1891)年第一次松方内閣の内務大臣となりました。松方の命で強力な選挙干渉を行い引責辞任を余儀なくされました。
晩年は、吉田松陰の遺志を継ぎ京都に尊攘堂を創設し、勤王志士の霊を祀るとともに、志士の史料を集めました。

 ※作者は「本山白雲」が正しいようだ。高知の坂本龍馬像も手掛けている。

本山白雲 :: 東文研アーカイブデータベース

 

よく見ると四隅突出墓のような土台。突出部の上部は台形と三角形を組み合わせたデザインで、モダンな印象。

銅像の台座というものを、初めてじっくり見た。

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台座裏側。発注者としての西郷従道らの名前が大きく刻まれていた。

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東京に立つ銅像については下記のサイトが詳しい。

歴史群像―学研デジタル歴史館-「TOKYO銅像マップ―靖国神社周辺」