墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千秋文庫 千鳥ヶ淵  鍋割坂 @東京都千代田区九段南

前回のつづき。

8/1の午後、三番町の千秋文庫へ「館蔵 古地図展」を見に行った。

千秋文庫は、旧秋田藩主佐竹家・34代当主佐竹義春侯の家令職を勤めた小林昌治氏が、義春侯より譲渡された資料を後世に伝えるために昭和56年9月に設立。
古文書や古地図、絵図、藩主所用の花押印章類など、中世から近世にかけての武家興亡の歴史が垣間見られる資料を約2300点所蔵し、館蔵品を中心に年3回企画展を実施している。

公式サイト、一般財団法人 千秋文庫 - 趣旨及び沿革には開館までの苦労も詳しい。

 

8月15日までで下記の興味をそそられる展示があったので行ってみた。

一般財団法人 千秋文庫 - 開催中企画展

秋田藩主 佐竹家には『マテオリッチ万国輿地図』や『日本全図』等、さまざまな地図が伝わっておりました。 
今回はその中から、世界地図や日本地図をはじめ、蝦夷北方領土など、古地図を中心に展示いたします。  
<主な展示品> 
マテオリッチ万国輿地図
新刻大日本輿地路程全図
蝦夷国全図 
異国船渡来書翰和解 
魯西亜人図 (ゴローニン他)
八丈島風俗画 
歌川広重「名所江戸百景」より夏の景   計16点
江戸東京博物館所蔵の初摺りの平成完全復刻版)

 

復刻判(といっても江戸期)も含まれるが圧巻の資料。マテオリッチ万国輿地図は天地も背丈以上あり見応えがあった。(字が細かいので単眼鏡があった方がよい)

「名所江戸百景」は平成になってからの復刻だが見事な刷り。当初の鮮やかな色が復元されており、それぞれの名所の、江戸時代の華やかな空気もよみがえってくるようだった。

月だけでなく、日・祝も休館。閉館時間は16時。

 

お隣はイタリア文化会館。一般が入れるようにはなっていなかった。

 

北から回って千鳥ヶ淵にも行ってみた。インド大使館の隣を行く。

 

 靖国神社側の角から。濠までは比高差がある。内濠周囲では一番高い場所ではないか。

 

太い桜が並ぶ。

 

右手には九段坂病院。

 

その先に雰囲気のある門があった。

 

農林水産省分庁舎とあった。

 

奥の、古そうな給水塔と倉庫のような建物が気になった。

 

あとで、この場所がかつての山縣有朋邸、九段坂病院はかつての品川子爵邸だったと知った(千鳥ヶ淵戦没者墓苑にあった説明板より)

品川子爵(弥二郎)は山縣有朋と同じく元長州藩士。近衛歩兵兵営地を濠越しに見下ろせる好立地。

以下説明板より。

千鳥ヶ淵緑道を北に行くとインド大使館があります。その手前に建つ白亜の建物が、九段坂病院です。

明治時代、この土地は品川弥二郎子爵のお屋敷となっていました。

もっともそれ以前、明治のはじめ頃、この土地は山縣有朋候の土地でした。この二人は同じ長州出身で、ともに吉田松陰松下村塾で学んだ、幕末維新の志士でした。

山縣候は、当時明治建築界の雄と謳われた片山東熊に設計を依頼、この土地に、我が国の洋風建築の先駆けともいえる邸宅を完成させました。その後、関東大震災や、空襲によって焼失したため、戦後は農林水産省の分庁舎となり今に至っています。

 

品川子爵は銅像で知った。

 

上記の地図にあった鍋割坂。

 

現在の内掘通りとの間をつなぐ短い坂。

 

標柱の説明では、ふせた鍋(台地)を割ったようであることが由来で、同じ名称の坂は各地にあるとのこと。

 

坂の途中からはイタリア文化会館が見えた。皇居側はさらに派手な色合い。

 

坂下には、邸宅のような佇まいの宮内庁分庁舎。

 

その先に、千鳥ヶ淵のビューポイントがあった。

 

ちょっとした展望台の下はボート乗り場。

 

さすがに暑くて誰も居ない。

 

と思ったら一艘、外人男子3人が漕ぎ出していくところだった。

 

その先の「億ション」。昔フェアモントホテルがあった場所。

旧「フェアモントホテル」跡地に超高級マンションが竣工|R.E.port [不動産流通研究所]

 

そして内掘通りに出た。英国大使館に近い場所。

このあと千鳥ヶ淵戦没者墓苑をお参りした。

つづく。