墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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ニコライ堂(東京復活大聖堂教会) 重要文化財 千代田区神田駿河台

以前、明治大学博物館へ行ったときに、そばにあるニコライ堂を訪れた。

ただし、1回目は葬儀が行われていたので、外から見るだけ。

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2回目に訪れたときに拝観できた。

拝観時間は、10月~3月が13:00~15:30、4月~9月が13:00~16:00

拝観には献金が必要(HPによれば、目安は300円)

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 一般見学者は、はいってすぐの場所、丸屋根の下の手前まで入ることができる(内部は撮影禁止)

正面にイコンのが描かれた大きな祭壇があって、一心に祈りを捧げている信者(ロシアの方?)がいらした。静かで荘厳な空間だった。

異国にいるような雰囲気だった。

 

窓の上のアーチの先端が尖っているのがロシアっぽい。

さらにその上の壁面、小アーチの連続は「ロンバルディア帯」と呼ばれるロマネスク建築様式の装飾。

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以下はパンフレットより

「ニコライ堂」の名で知られる東京復活大聖堂は、大主教ニコライによって1884年(明治17年)から1891年(明治24年)に7年の歳月をかけて、建築家ミハイル・シチュールポフ氏、及びジョサイア・コンドル博士の設計に下で建てられました。

ところが、1923年(大正12年)、関東大震災で鐘楼が倒壊、それによってドームが崩壊しました。大主教の跡を継いだ府教主セルギイは、多くの人の援助の呼びかけを行い、建築士、岡田信一郎の指揮の下、およそ6年の歳月をかけて聖堂を復興させました。その形が現在のニコライ堂となっています。

日本では有数のビザンチン様式の建築で、1962年に国の重要文化財に指定されました。

 

岡田信一郎も関わっていたとは。コンドルも岡田信一郎も、さまざまな建築様式への対応力が凄い。

 

 また、聖堂入口にあったFAQのペーパーが勉強になった。

質問:ニコライ堂はロシア正教なんですか?

答え:(NO) ニコライ堂は正教会の教会です。

正教会は「東方正教会」もしくは「ギリシア正教」とも呼ばれ、各国に1組織をつくるのが原則とのこと(信仰している内容は全く同じ)

日本の正教会は、日本正教会(日本ハリストス正教会)で、全国約60ヶ所に教会がある。ニコライ堂は日本正教会の中心となる教会(首座主教座大聖堂)で、ロシア正教会の教会ではない。ただし、ロシア正教会主教の亜使徒聖ニコライによって正教が日本に伝えられたので、ロシア正教会に似た建物の形や聖歌などを受け継いでいるそうだ。

 

道路(北)側から見た聖堂。

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アーチ下の絵の拡大。

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以前は東京文化財ウィークでの特別拝観があったようだが、今年の案内には載っていなかった。また、数年前に見たブラタモリでは、明治期の鐘楼からの眺めのCG復元映像があったような記憶がある。録画DVDが見つからないが、再度探してみよう・・・

 

※追記:国会図書館のサイトで、明治33年に刊行された写真集にあるニコライ堂が見られます。ちらりと見える背景によって丘の上にあることがわかって面白いです。

ニコライ教会堂[拡大画像] | 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から -

 

帰り道の新御茶ノ水駅のエスカレーター(下方向)

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昔は日本一長かったような。

2004年時点では大井町駅。


現時点では香川県丸亀市のニューレオマワールドのようだ。