墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

久世廃寺跡・久世神社 京都府城陽市久世芝ケ原

2024年のGWは、まいまい京都主催の古墳ツアーに参加しました。

【城陽】古墳へGO!京都最大の密集エリア・久津川古墳群へ:~全長180m!日本最古級!帆立貝形!次から次へと古墳にコーフン~#ky24b1850 | 京都のミニツアー「まいまい京都」

 

JR城陽駅に9時集合でしたが、始発ののぞみで間に合う時間。

乗り換えの京都駅は、外国人観光客でごった返していました。

 

JR奈良線の城陽駅は、京都と奈良との中間地点。

ちなみに、どちらへも五里なので城陽市歴史民俗資料館は「五里ごり館」の名称になっているそうです。

 

駅前広場の中央のモニュメント。埴輪がいくつか。

 

上から見ると前方後円形になっています。

 

別の角度から。後円部の位置にある弧状は何を…

中央の三角屋根が城陽駅。

 

ツアー一行は20人弱。駅から住宅街を北へ向かいます。

 

その突き当りが久世廃寺跡でした。

 

久世神社西側の明るい林の中に、塔や金堂の基壇が残っています。

 

敷地の西端はJR奈良線。

 

久世神社の前に説明板がありました。

国指定史跡 久世廃寺跡
久世廃寺は、塔を東、金堂を西に置く法起寺式の伽藍配置をとります。寺域は東西約120m、南北約135mと推定されており、寺跡の大半は久世神社の境内地となっています。境内には当跡・金堂跡・講堂跡が、土壇として残っています。
塔跡は、東西13.7m、南北13.4mの瓦積基壇と推定されています。金堂跡は、東西26.7m、南北21.3mの瓦積基壇です。講堂跡は、東西23.5m、南北13mの瓦積基壇で、基壇上には七間(21m)×四間(10.5m)の四面庇をもつ建物があったことが確認されています。南門跡は、南北4.3m、東西8m以上の基底部が確認されています。
南門跡北側の瓦溜まりからは、像高6.9㎝(頭頂~足裏)の金銅造の誕生釈迦仏立像が出土しています。
また、東側の市道沿いでは、補修用瓦を焼いたと考えられる瓦窯跡がみつかっています。
発掘調査により、奈良時代前期に創建され、8世紀中頃に建物が整備され、11世紀前半に廃絶したと考えられています。
寺域北東側の丘陵上には、6世紀に築造されたと考えられている芝ヶ原1~7号墳(前方後円墳2基、円墳5基)があります。


重要文化財 久世神社本殿
丹塗りの一間社流造、檜皮葺で、柱上部・組物・庇水引虹梁・庇蟇股などを極彩色に仕上げています。内部は内陣と外陣に分かれ、内陣正面には弊軸付板扉、外陣方面に引違の格子戸を4枚たてています。内陣方面の板扉には扉2枚にわたり大きな松を描き、左右の脇羽目板にも草花を描いています。内陣正面の欄間中央に巴紋、左右に6弁の花紋を飾っています。外陣方面には透彫り欄間をいれ、単純化した唐草文様を柱間一間分にわたって彫刻した中に、中央に菊、左右に各2個ずつ計4個の桐を配しています。
建立年代は明らかでありませんが、室町時代後期とされています。城陽市教育委員会

 

伽藍配置の部分。北の台地上には久津川古墳群が展開しています。

 

久世神社社殿を正面から。室町後期建立の重文です。

 

横から。

 

背後の崖。その上は鬱蒼としています。

 

一行は敷地の東端、北東へと上がる坂へ。

 

柿本人麻呂が歌に詠んだ「久世の鷺坂」といわれているそうです。

 

坂を上がって東方向、正道官衙遺跡へ向かいました。

川島古墳群・後編(2号墳、1号墳、3号墳、12号墳) 福岡県飯塚市川島

11号墳の壁画を見た後は、尾根上に戻って2号墳へ。

 

川島2号墳は全長5.6mの横穴式石室を持ちます。

川島2号墳
川島2号墳は直径16m、高さ2.5mの円墳で、内部には前室と玄室の2室があり、全長5.6mの横穴式石室が築かれています。石室入口は破壊され、一部石材が失われていました。石室には花崗岩が使われています。
昔から開口していたため副葬品はあまり残っていませんでしたが、石室および古墳の周囲から須恵器、耳環、勾玉、切子玉、小玉、鉄鏃、刀子が出土しています。6世紀後半に作られた古墳です。
平成8年(1996)に川島1号墳、10号墳とともに市指定史跡となりました。

 

扉が開けられ、玄室には照明も。

 

奥壁は右側に三角の大石。左は中型の石を積み上げています。

 

左の積み方は途中から内側にせり出しています。

 

せり出している部分を。

 

奥壁を背にして。

 

玄門から前室、羨道を。

 

前室と羨道との境の床面。


2号墳のすぐ隣に1号墳。

 

こちらの石室は全長7m。

川島1号墳
川島1号墳は直径17m、高さ2.8mの円墳で、墳丘の裾にはあ馬蹄形に周溝が廻っています。内部には前室と玄室の2室があり、全長7mの横穴式石室が築かれ、玄室の奥壁には石棚があります。石室には花崗岩が使われています。
昔から開口していたたので副葬品はあまり残っていませんでしたが、石室および古墳の周囲から須恵器、鉄器片が出土しています。6世紀後半頃につくられた古墳です。
平成8年(1996)に川島2号墳、10号墳とともに市指定史跡となりました。

 

前室から玄室を。

 

同じ位置からフラッシュで。

 

奥壁の上部には石棚。厚みがありすぎて「棚」という雰囲気ではなく。

 

”石棚”の下部。



玄門にしゃがんで石棚の上部、天井を。

 

石棚を背にして。

 

玄門上部にも大きな石が。

 

玄門から前室を。

 

前室の床面。

 

装飾古墳の11号墳だけでなく、1号墳・2号墳の石室も見応えがありました。

 

1号墳は開口部の反対側から登れる仕様になっていました。左は2号墳。

 

墳頂の様子。

 

置かれているのは周囲の眺望説明。かつては木々が繁っておらず、眺めが得られたそうです。

 

1号墳から2号墳を。

左下が駐車場で、以前に来た際その左奥の林からイノシシに睨まれました。

 

1号墳と2号墳との間。


1号墳の西側の斜面、竹林に3号墳。


園路の反対側に12号墳。柵の向こうに小さな開口部が見えていました。

2024年4月20日訪問

 

この後に小正西(おばさにし)古墳の石室公開へ寄るつもりでしたが、帰りの時間が近づいていたので、またの機会としました。

小正西古墳 福岡県飯塚市小正 - 墳丘からの眺め