墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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旧東奥義塾外人宣教師館 青森県弘前市下白銀町

前回の旧弘前市立図書館のすぐ東側には、旧東奥義塾外人宣教師館の瀟洒な建物が残っている。(右端の赤屋根が図書館)

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建物1階にはサロン・ド・カフェ・アンジュがはいる。おいしいアップルパイなどがあるそうで、賑わっていました。

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自分たちは、お腹は満たされていたので上階へ。

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上がってきた階段を振り返って。

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壁際に平面図が掲示。

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半分開いた扉に引き込まれ。

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子供室のベッド。ここに泊まりたいと思いました。

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主寝室ですが、リビングのような雰囲気。

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机に向かったり、出窓のベンチで本を読んだりして、ちょっと疲れたらすぐ横になれる理想的な環境。

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ベッドの足元側の小テーブル。

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隣の部屋は書斎。

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広角で。

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上記の左の壁の後ろ側の収納スペース。ふすまの押し入れがありました!

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書斎の先のベランダには、ブランコが。

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青森県観光情報サイトによれば、明治33年(1900)にアメリカのメソジスト・ミッションボードが設計したものを堀江佐吉らが建てたものだそうです。

旧東奥義塾外人教師館|青森県観光情報サイト アプティネット

 

現地でいただいたパンフには下記の解説がありました。

 

寛政8年(1796)、津軽藩9代藩主寧親(やすちか)は藩学校を「稽古館」と命名、開校しました。その後、稽古館は弘前漢英学校に引き継がれますが、明治4年(1871)廃藩置県の影響を受け廃止されました。12代藩主承昭(つぐあきら)が藩校の建物を提供し、明治5年(1872)、「東奥義塾」として生まれ変わりました。東奥義塾は開学当時から外国人宣教師を招聘し、明治23年(1890)には外国人宣教師の住居が建てられました。現在の建物は明治33年(1900)に再建したものです。
昭和63年(1988)に弘前市に寄贈、復元され、平成5年(1993)に県重宝に指定されました。

建物の特徴

木造2階建てで、延面積約280㎡の規模は、地方に居住した外人教師の住宅としては大きく、上下階ともに窓を多く設けた造りとなっています。

 

展示室にあった宣教師の解説はドラマになりそうな物語でした。

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R・Pアレキサンダー先生について
1862年11月24日カナダ、プリンスエドワード島に誕生。プリンスオブウェールズ大学、マウントアリソン大学を卒業後、さらにハーバード大学に学んだ。
1893年、米国メソジスト教会年会で長老となられ、直ちに宣教師として来日。青山学院の教師を務められた。
そして1898年(明治31年)東奥義塾に教師として招聘、来弘された。ところが1899年1月19日早朝の出火によって、妻メアリーは不慮の焼死をとげる。その傷を癒すべく長男と共に帰国していた師は、明治35年再婚した妻ファニーウィルソンを伴い再来弘された。
その後青山学院に戻られ、昭和15年1月6日、聖路加病院において永い眠りにつかれた。享年75歳。
師は先妻メアリーとの間に長男ジョージがいたが、その後再婚したファニーウィルソンアレキサンダーと1男3女をもうけた。

 

玄関の右手側から。

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玄関の反対側。

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こちら側には弘前の建造物のミニチュアが展示されていました。

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宣教師館建物内も、ミニチュア展示も無料で観覧できます。

旧弘前市図書館 青森県弘前市下白銀町

弘前市庁舎の東側に広場を挟んで庁舎側を向く、優美な建物がある。

 

明治39年(1906)に竣工した旧弘前市図書館。手がけた棟梁は、前回エントリの青森銀行記念館と同じく堀江佐吉(1845~1907)

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20年くらい前に弘前に来たことがあるのですが、この建物のことは印象に残っていました。 

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南側から。

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南東側から。2つの”塔”の間の背面側はL字形。堂々たるファサードと比べてしまうと、小ぶりな感じになりますが、細部まで丁寧につくられています。

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北側のようす。

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正面左の塔の下が玄関。

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くつを脱いでスリッパに履き替えます。そこにあった解説。

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旧弘前市立図書館
明治39年3月に竣工したこの建物は齋藤主・堀江佐吉らが東奥義塾の敷地に建てて市に寄付したものです。
設計・施工は堀江佐吉で、木造洋風・ルネッサンス様式を基調とした手法に和風様式が随所に取り入れられちえます。外観は石積基礎に白しっくい塗り壁、屋根はレンガ色の鉄板葺き、各階の軒先蛇腹・窓の形・屋根飾り・八角形の双塔を左右に配して柱型を強調するなど、洋風技法の水準の高さを感じさせています。
その後、昭和6年まで市立図書館として利用されましたが、図書館の移転にともなって堀江家の子孫に払い下げられ、市内富野町に移築されていたのを平成2年7月市制百周年記念施設のひとつとして、現在の場所に復原したものです。
一階は旧図書館の形態を復原して公開し、旧図書館の関連資料の展示を行っています。
二階は郷土の出版社の出版物を展示し、郷土の文学の動向や文芸団体の活動を紹介しています。またビデオ映像によって文学碑めぐりを放送しています。

 

いただいたパンフには、堀江佐吉について下記のように記されていました。

棟梁 堀江佐吉

津軽藩のお抱え大工・堀江家の5代目として生まれた堀江佐吉は、函館で洋風建築の基礎を学んだといわれ、その卓越した技能で青森銀行記念館、旧弘前市立図書館、旧弘前偕行社など斬新かつ華麗な洋風建築を数多く手がけました。

彼の精神や技能は、弟子達に引き継がれ、教会など多くの洋風建築として弘前の街に彩りを添えています。

 

玄関にある階段。階段があるのはこちら側の塔のみでした。

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見上げると、2階から先にも続いているのがわかります。

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八角形の塔内に螺旋階段があるので一階天井は複雑な形です。

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2階から3階へは折り返しの階段(立入禁止)

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廊下側から見た1階の階段。

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その背面側には婦人用の読書室。

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江戸時代から40年も経っていない時に、ここを見た人々は大感動したことでしょう。

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館長室もあります。

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2階では郷土弘前の文学についての展示。 

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奥から振り返って。

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「弘前の文学マップ」には、作家の碑がある場所などが沢山表示されていました。

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2階の窓から見えた弘前市庁舎と岩木山。

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よんばばさんからのコメントで弘前に”堀江工務店”があることを知ったので検索すると、平成3年に「ヨコヤマ堀江工務所」と社名変更したホームページに行き当り、堀江佐吉の肖像や建築中の旧弘前図書館の写真などを、興味深い物語りとともに見ることができました。

堀江大工の祖・堀江佐吉 | 有限会社ヨコヤマ堀江工務所|弘前市の工務店