墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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福井市立郷土歴史博物館 福井県福井市宝永

前回のつづき。

足羽山から早めに降りて少し時間ができたので、福井”市立”の郷土歴史博物館も訪ねてみることにした。足羽川を再び渡って市の中心部へ。

 

橋の上には路面電車の軌道があった(ちょうど信号待ちだった)

 

レトロな架線柱も。

 

博物館は福井城跡の北東側の住宅街に。

 

常設展の入場料は一般210円。養浩館という庭園もセットだと340円。

冬季以外は9時から19時まで開館している。

http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/riyo/index.html

 

常設展は、ふくいの古墳、東大寺荘園「道守荘」、城下町の人びととくらし、松平春獄をめぐる人々、近代都市の発展と戦・震災の5つのコーナーに分かれている。

その、ふくいの古墳のコーナーがとても見ごたえがあった。

 

まず目を惹いたのは、足羽山の龍ヶ岡古墳(消滅)から出土した石棺の実物。

 

短辺側。縄掛突起が2ヶ所ずつ付く。昭和26年に発掘されたもので、一面朱に塗られていた中からは男女2人の人骨とそれぞれの副葬品も見つかったそうだ。

 

こちらは足羽山山頂古墳の復元模型。

 

その説明板。

再現! 古墳の内部
足羽山山頂古墳の石室
下の石室は足羽山山頂古墳を再現したものです。
明治16年、足羽山の山頂から偶然、笏谷石製の石棺が発見されました。残念ながら、石棺は打ち割られ、中身が持ち去られた状態でした。その後、昭和26年の調査で、石棺が納められていた竪穴式石室の底部が未破壊のまま見つかりました。その時の調査結果をもとに、推定復元した盗掘前の石室の様子です。笏谷石を積み上げて壁をつくり、隙間を粘土で埋めて密封していたようです。福井平野周辺でこのような竪穴式石室を持つ古墳は、現在のところこの足羽山頂古墳だけです。

 

石棺も周囲の壁も笏谷石(しゃくだにいし)のはずだが色が異なっている。別の説明パネルには「足羽山は、青く美しい笏谷石の産地として長い歴史をもちます」とも書かれていた。

 

縄掛突起は1つ。上蓋の形は丸太のよう。

 

穴を覗きこむと、底面の石枕も再現されていた。

 

笏谷石製の石棺は福井平野一帯の古墳に見られるが、福井平野以外で見つかった例はないそうだ。

 

こちらは武器・武具の副葬品コーナー。 平野の東縁にある天神山古墳群(7号墳)から出土した鉄刀や鉄鏃。

 

革に塗った漆の膜だけが残った「盾」も。

 

 

 同じく天神山古墳群から出土した馬具。

 

天神山古墳群からは耳環も。

 

二本松山古墳出土の金冠は写真だけ。県立博物館にはレプリカがあった。

十善の森古墳は若狭湾沿いの小浜にある。

 

天神山古墳群の北方に位置する、花野谷古墳群(1号墳)から出土した、ひすい製勾玉・石製管玉・ガラス小玉を首飾りとして復元したもの。

 

花野谷1号墳からは三角縁神獣鏡も出土(右はレプリカ)

 

水切古墳群出土の水晶製切子玉や、めのう製勾玉、天神山7号墳出土の緑色凝灰岩製の管玉など。

 

宝石山古墳や天神山7号墳出土の竪櫛。

 

槍鉋や刀子、手斧や鍬などの工具・農具についてのわかりやすい説明があった。

 

天神山古墳群や中山2号墳出土の刀子、手斧、やりがんな、鑿。

 

鍬や鋤の刃先。

 

古墳時代以外も充実した展示があった(こちらは江戸期のジオラマ。さきほど通った、今は路面軌道のある橋)

 

こちらの博物館で購入した古墳時代ガイドブックは一見子供向けに見えるが、内容の濃い充実したものだった(300円)

 

福井平野の古墳の立地が一目でわかる地図。平野の際や川沿いの独立丘にある。

 

足羽山の古墳地図もわかりやすい。

 

上記の各古墳の説明も詳しい。石室に入れる古墳(饅頭山2号墳)も見逃していた。先にこちらの博物館に来るべきだった・・・

 

このページには古墳を造る際の「プロジェクト」が目に見えるくらいに具体的に書かれていて非常に興味深かった。

 

当ガイドブックは通信販売でも購入できるようになっている。福井へ行かれる際には事前購入をおすすめします!

http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/riyo/tosho.html

足羽山古墳群・山頂古墳 福井県福井市足羽上町

前回のつづき。

福井県立歴史博物館を見た後は、福井市の中心部に立地する足羽山(あすわやま)古墳群を訪ねた。

 

福井駅から1.3km西南西、足羽川を渡った先の山の上・足羽山公園に立地する。

 

標高90~100mほどの細長い独立丘陵だが車で上がることができて、尾根上には公園や神社、博物館もある。

下記の案内図には、山頂古墳(継体天皇像)、大塚山古墳、柄鏡塚古墳、宝石山古墳、饅頭山1号墳の位置が記されていた。

 

まずは山頂(三段広場)にある”山頂古墳”へ。

 

ここには説明板もあった。

足羽山古墳散歩
山頂古墳
足羽川と福井平野をのぞむ絶好の場所にあるこの丘は、今から1600年前につくられた古墳で、「山頂古墳」と呼ばれています。明治時代に足羽山公園がつくられたとき削られてしまい、元の形や大きさはよくわかりませんが、現在でも直径約60m、高さ約7mの大きさを残しており、そのほとんどが人工的に盛り土をしてつくられていることが分かっています。
この古墳の調査では、笏谷石(しゃくだにいし)をくり抜き、直線と曲線を組み合わせた「直弧文」という古墳時代特有の文様を刻んだ石棺や、それをおさめるための石積みの部屋(石室)、また、石棺のまわりから玉類、丘の上からは古墳のまわりを飾った埴輪が見つかっているほか、周辺から「三角縁神獣鏡」という青銅の鏡の破片が見つかっています。いずれも他にあまり例のないもので、古墳の大きさとあわせて、この古墳に葬られた人の地位の高さをうかがわせます。
福井市立郷土歴史博物館では、見つかった石棺を石室の推定復元模型とともに展示しており、古墳に埋葬された当時の様子が観察できます。
福井市教育委員会

 

石段を上った先の墳頂には・・・

 

なんと継体天皇の石像が置かれていた。

 

インパクトのある尊顔。

 

 その視線の先には、福井平野が日本海に向かって開けている(北西方向)

 

東の方向も眺めが良い。

継体天皇の墓であるかは?だが、立地的に、まさに福井平野全体を掌握していた首長の墓であることが察せられた。

 

 像の隣には明治に建てられた遺跡記念碑。

 

墳丘の北隣には福井市自然史博物館がある。入館料大人100円。この時は「世界の大むしむし展2」が開催されていて親子連れで大賑わいだったが、自分は「屋上」を目当てに入館した。

 

屋上から見た山頂古墳。継体天皇像は木々に蔭。

 

北側には、西から東をぐるりと見渡せる素晴らしい展望があった。

 

北西から北側、日本海の方向。かつては大きな湾を形成していたのだろう。

 

北東側、福井駅のある中心街の方向。

 

緑の部分は福井の街中を流れる足羽川。6km北西で九頭竜川に合流する。

 

案内板によると、この東北東の方向に白山があるはずだが雲に隠れていた。

 

自然史博物館にあったの地形模型。上が足羽山で、その下の右に八幡山と左に兎越(おさごえ)山がつながっている。

染色体を横にしたような形。 

 

少し前に羽田からソウルへ向かう途中でよく見えていた。 

 

展望を味わった後は案内地図にあった他の古墳を目指した。写真で撮った地図を見比べると大塚山古墳はこのあたり(工事中の足羽山公園遊園地の前)

後で墳丘を削って駐車場になっていることを知った。

 

森に入って裏側から。現地には古墳の表示は全くなかった。

 

その先、柄鏡塚古墳はこのあたりのはず。最初の案内板の地図には散策路が書かれていたが、草に埋もれたのかわからなかった。

 

この先へ行ってもわからないだろうと判断し、ここで山を降りて、市内のもう一つの博物館(福井市立郷土歴史博物館)へ行ってみることにした。

つづく。