墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

重要文化財・桜田門 二重橋 千代田区皇居外苑1

前回のつづき。

法務省赤レンガ棟を見たあとに、内堀通りを渡って桜田門へ行ってみた。

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絵図のはいった説明板があった。

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江戸城 外桜田門

現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来します。

外側の高麗門と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造からなり、外枡形という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(320坪) 建築されたのは寛永年間(1624~44)とされ、現存する門は、寛文3年(1663)に再建された門がもとになっています。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、復元されました。

万延元年(1860)3月3日、この門外で大老井伊直弼水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変

 

桜田堀の石垣。旧江戸城の石垣の総数は、先日のNHKの番組「大歴史実験」(再放送5/16 13:30~BSプレミアム)で大阪城の石垣の石が総延長12kmで総数70万個以上と言及していましたので江戸城が外堀だけで総延長14km(東博ブログ)とすると100万個程になるのでしょうか。ちょっと検索しただけではわかりませんでした。

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外側の高麗門 - Wikipedia~以下は引用(高麗門は、門の種類を表す言葉)

高麗門は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に造られ始めた城門である。鏡柱と控柱を一つの大きな屋根に収める構造の薬医門を簡略化したもので、屋根を小ぶりにして守備側の死角を減らす工夫が施された。江戸時代以降には、城郭に限らず神社仏閣や町の出入り口を仕切る木戸門などとして多く築造された。

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高麗門を内側から。開いた門扉を置く位置の上に瓦屋根がついている。

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巨大な渡櫓門。

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門の上に左右の石垣の上から渡すように門櫓が建てられることから渡櫓門と呼ぶそうだ。旧江戸城跡には大手門や坂下門にも渡櫓門がある。位置は皇居の施設案内で。

 

渡櫓門の芸術的な石組み。

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以下は桜田門 - Wikipediaより。

昭和36年(1961年)に「旧江戸城桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。

当初は小田原街道の始点として小田原口と呼ばれていた。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっており、間に桝形がある。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。

 

江戸城跡では、他に北の丸公園側にある田安門と清水門が重要文化財に指定されている。

 

渡櫓門の少し先にある案内図。中央の地図の右上が桜田門。灰色の道が玉砂利で、逆コの字形に歩いていくと二重橋の前に出る。

江戸城の「内桜田門=桔梗門」は地図の下部になる。

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下記は、二重橋ではなく「正門石橋」

この橋の奥にある鉄の橋(正門鉄橋)が二重橋。・・・ということをエントリ中の今知った。上記の案内図でも二重橋との表記は右端の橋だった。

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以下はWikipediaより。

皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称である。正門(江戸城の西の丸大手門)は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。使用される時は皇居前広場〜正門石橋〜正門〜正門鉄橋〜宮殿というルートをたどる。

奥の鉄橋は、江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けられていた。そこから、「二重橋」と呼ばれるようになった。現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替えられたもので、橋桁は二重ではない。手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年(1887年)の建造である。二重アーチ構造であることから、「この石橋が二重橋である」との誤認が多い。

「手前の石橋と奥の鉄橋が同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋」というのは正確な解釈ではない。また、手前の石橋を言う場合もあるが前述のとおり誤りである。

 

外国からの観光客がくつろいでいた。

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突然背後で玉砂利の音が激しくなったと思ったら、なんと馬車が通っていた!

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 新任の外国の特命全権大使が信任状を天皇陛下に捧呈する儀式(信任状捧呈式)の、大使一行の皇居への送迎では、大使の希望により、皇室用の自動車か馬車が提供されているそうだ。信任状捧呈式の際の馬車列 - 宮内庁

 

後ろにつづくトヨタ・センチュリー。立ち入り制限ぎりぎりの場所だったようです。

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