墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

鰭ヶ崎三本松古墳 千葉県流山市

3連休の最終日、埼群古墳館さんの掲示板で「取り壊しの危機にある古墳」として取り上げられていた、鰭ヶ崎(ひれがさき)三本松古墳へ行ってみた。

武蔵野線南流山駅へ。

3本ある線路の真ん中にホームの倍くらいの長さの貨物列車が停まっていた。

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駅の案内板。右の緑に塗られた場所を目指す。

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駅前に出たら汽笛が鳴って貨物列車が動き出した。

手前地下へは「つくばエクスプレス」の入口。

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しばらく歩くと歩道橋があった。目隠しがあったが階段の途中で台地方向をズーム。

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道は流山電鉄の上を越え、橋のかかる切り通しに差し掛かる。

目指す古墳はこの台地右手にあるはずなので、斜面についた階段を上った。

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道なりに進むとすぐに古墳への案内板があった。

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人ひとりがやっと通れる、崖にはりついた小道を進む。案内板がないと道だとわからないだろう。左は民家でラジオの音が鳴っていた。

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クモの糸に引っかかりながら進むとすぐに古墳に着いた。左手の草むらの向こうに土盛があり、工事をしているようだった。

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下記に説明板を転記。

当古墳は、全長25m、前方部の幅8m、後円部径17m、最大高2.5mの市内でも、例の少ない前方後円墳です。

古墳の墳丘からは、円筒埴輪や人物埴輪が出土しており、その研究から古墳の造られた時期は、6世紀頃と考えられています。また、墳丘の形などの研究から、当古墳に埋葬された人は、市川市法皇塚古墳、弘法寺古墳を含む国府台古墳群を築いた有力な首長層と密接な関係を持った在地の族長と考えられています。

墳頂には、文政11年銘の「古墳碑」が建立されています。その内容を要約すると、「天明の飢きんの時人々が苦しみ、古墳に埋納された財宝を掘り出し飢えをしのごうとした、それを知った当時の庄屋は、人々に古代の人の墓をあばく事をたしなめ、古墳を守りとおした。」と記されている。江戸時代より周囲の人々には、当古墳が重要な文化遺産であると認識されていたようです。流山市教育委員会

 

 

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上記の説明板と対面して小型の説明板もあった。東深井古墳群で見かけたものと同タイプ。何の番号か知りたいが、流山市で84番も数えるということは古墳だけの番号ではないのだろう。

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お稲荷さんのある墳丘へと向かう。

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祠と石碑が正面に並ぶ後円部の墳頂へ。

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沢山の狐の視線を感じながらお参りする。

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説明板にあった石碑。

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眺望はないが、木々の間から、ちらちらと台地下が見える。

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やぶ蚊の攻撃が激しかった。カメラを構えて何秒かじっとするとすぐに蚊が止まる。

ひざ下が出ていたので足だけで8ヶ所咬まれた。

 

やぶ蚊から逃げるように、もときた道をもどる。

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もとの道路のすぐ先にも社があった。

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道祖神が祀られていた。社の下の盛り上がりが墳丘的。

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社の背後には巨木が。

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力石のような敷石(?) 奥は竹やぶだった。

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古墳入口と社との間に、台地下に降りる階段があった。

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降りて墳丘に沿って回り込んでいくとコンクリート擁壁があった。上に古墳がある。

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擁壁は一部で、壁がないところが崩壊しつつある。

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これを整備して公園をつくるらしいが古墳は残らないようだ。

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天明の飢きんでさえ乗り越えたと、江戸時代の石碑が語っているのに・・・

 

そのまま半時計回りに歩くと畑地が広がる。奥の樹林が古墳でこちら側(東側)は、なだらかな斜面。

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畑地の横で、行きに通った道路に出たが、そのまま進むと左に気になる階段があった。上部にロープが張ってあるが上っていった。

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すると、古墳の隣が発掘調査中だった。奥の樹林が古墳。

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上記写真の右側。

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帰りは、流山電鉄の鰭ヶ崎(ひれがさき)駅へ。

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鰭ヶ崎駅の案内板には、ちゃんと「三本松古墳」が載っていた(駅のすぐ左)

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本日の電車は黄色の「なの花」号。

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馬橋(まばし)駅まで乗った。初めて降りた駅。駅前の大きな噴水池。

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手入れの行き届いた、松と岩の小庭もあった。

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常磐線各駅停車と接続する。

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常磐線のホームから、さび付いた建物と貨車が見えた。

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※1年半後の状況です。


2年後です。