墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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豊川稲荷東京別院 九郎九坂 東京都港区元赤坂

前回のつづき。

工事中の虎屋赤坂本店と青山通りの赤坂警察署前交差点を隔てて豊川稲荷(東京別院)があった。

 

こちらに参拝するのは初めて。案内図左側の文化会館・茶店側から境内に入った。

公式サイトの境内案内もわかりやすい。豊川稲荷東京別院

 

何台か停められる駐車場がある。懐かしさが香る茶店が並んでいた。

 

その後ろには赤い鳥居。

 

こちらは霊狐塚。豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)と刻まれた大理石が建つ。

 

鳥居から奥の院。賑やかな赤白の幟は祈願成就の奉納だそう。

 

こちらが本殿。

豐川稲荷は圓福山という山号の曹洞宗のお寺だった。
お寺のサイトによれば、順徳天皇第三皇太子である寒巖禅師が感得されたという仏法守護の善神・豊川ダ枳尼眞天を祀るが、この豊川ダ枳尼眞天が稲穂を荷って白い狐に跨っておられることからいつしか「豐川稲荷」と称されたそう。

江戸時代に大岡越前守忠相公による信仰が厚く、赤坂一ツ木の大岡邸にあった豊川稲荷分霊を明治20年に現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となったとのこと。

本殿は般若殿・祈祷殿とも呼ばれ、中に上がって祈ることができる。

 

巨大な青銅の狐が参拝者を見守る。

 

三神殿の前には狐が聖歌隊のように並び圧倒された。

 

外国人観光客も見かけたが、一心に拝んでいる方も幾人かおられ、厳粛な雰囲気があった。

 

 赤坂見附川にある山門。赤い提灯の常夜燈は夜8時まで燈されているそうだ。

 

山門から北側へは下り坂になっていた。

 

坂名は九郎九坂(くろぐざか)

江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖、九郎九が住んでいて坂名になった。鉄砲練習場があって鉄砲坂ともいう。

 

九郎九坂を下るとすぐに赤坂御用地に沿った道に出た。門の向こうは御用地内。

 

こちらの御用地東門は守衛さんは奥にいただけだったので撮らせていただいた。

グーグルマップによればこの先200mくらいに園遊会が催される赤坂御苑の回遊式庭園がある。

つづく。

薬研坂~美喜井稲荷 東京都港区赤坂

青山通りをバスで通っていて車窓から見えた急坂。 

 

標柱があった。 

やげんざか
中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で、何右衛門坂とも呼んだ。 

 

こちらが薬研(やげん)、赤ひげで三船敏郎が使っていたですね。

(フリー写真集から転載) 

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Photo by (c)Tomo.Yun (http://www.yunphoto.net

 

両側が高いということは奥の上り坂とセットであるはずだが、確認は次の機会とした。

 

途中まで下って見上げたところ。

 

青山通りに出る最後の登りが最も急だった。

 

青山通りにかかる歩道橋から、赤坂見附方向。右の横断歩道が薬研坂の入口。

 

反対側の青山一丁目方向。右の緑は赤坂御用地で東宮御所などがあり、北東には迎賓館が隣接する。

 

木々の間から皇族の建物がチラリ。

赤坂御用地 - Wikipediaによれば、敷地の北西に位置する東宮御所の他に、秋篠宮邸・三笠宮邸・三笠宮東邸(旧寬仁親王邸)・高円宮邸・赤坂東邸があるとのことなのでそのいずれかか。

赤坂御用地の略図 - 宮内庁を参照すると、三笠宮東邸(旧寛仁親王邸)のようだった。

 

グーグルアースだと何でも見えてしまう。右下が渡った歩道橋。

 

歩道橋を降りて赤坂御料地側の歩道。

 

青山通りを隔てた薬研坂。こちらへ来る車の姿が見えなくなる。

 

 

青山通りを赤坂見附方向に歩いていくと、ビルの谷間に小さな社が見えた。

 

手前の囲いは、とらや赤坂本店の敷地。2018年の完成を目指して建て替え工事中だった。

 

隣のビルが一時的になくなって瓦屋根が目立っていたお社。

 

階段脇の壁に美喜井稲荷とあった。

 

階段を上ってドアから内側(境内)を見たところ。 

 

コンパクトな境内だが神域の雰囲気が漂う。稲荷とあるが狐ではなく猫だった。

 

拝殿に参拝。

 

見上げると豪華な瓦屋根(とビル)

 

屋根下の欄間でも猫がくつろいでいた。

 

境内にあった説明板。

比叡山と関係があるようだが蛸を食べぬようにとは?参拝してからこの説明に気付いた場合は?

公式サイトはなく謎が残ったが、とりあえずこの日は蛸を食べなかった。