墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

ニサンザイ古墳 大阪府堺市北区百舌鳥西之町

前回の定の山古墳から約400m南に、全長300m超のニサンザイ古墳があります。

北端は前方部左隅。

 

堤に上がると、思わず「おおっ」と声が出ました。

手前が前方部左裾、右に前方部、左奥に後円部で中ほどに造り出しも視認できます。

 

説明板あり。

ニサンザイ古墳
市史跡 2016年4月11日指定
史跡名称 ニサンザイ古墳周濠
時代:5世紀後半
古墳の規模:墳丘長300.3m、後円部径168.6m・高さ26.9m、前方部幅246.4m・高さ27.9m
ニサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南東端に造られた墳丘長が日本第7位の前方後円墳です。百舌鳥古墳群では第3位の規模です。
発掘調査の結果、墳丘の下段のテラスには円筒埴輪が隙間なく並べられており、北側の造り出しでは須恵器の大甕が据えられていることがわかりました。また、濠からは笠形木製品を含む多様な木製品が見つかり、ニサンザイ古墳における祭祀の一端を示しています。
堺市 2018年3月

 

実測部部分。

 

造り出し辺りをズーム。

 

墳丘左側(北側)の濠。向こう岸が遠い!

 

前方部先端側の堤。こちらも向こう岸が遠い! どちらも370~80mあります。


前方部先端側の堤を進み、振り返って。

 

ニサンザイ古墳に拝所はありません。中心寄りに、ちょっと凹んだ箇所あり。

 

そのあたりにも説明板。内容にバリエーションあり。

ニサンザイ古墳
市史跡 2016年4月11日指定
史跡名称 ニサンザイ古墳周濠
時代:5世紀後半
古墳の規模:墳丘長300.3m、後円部径168.6m・高さ26.9m、前方部幅246.4m・高さ27.9m
ニサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南東端に造られた墳丘長が日本第7位の前方後円墳です。百舌鳥古墳群では第3位の規模です。
墳丘は3段に築かれ、築造当時の姿をよく保っています。前方部の幅が大きく広がり、後円部より前方部が高くなる墳丘は、前方部が発達した新しい傾向を示しています。北側の造り出しが良好に残っていますが、南側にも設けられていたようです。築造時に巡っていた外濠は現在は埋没しています。
堺市 2018年3月

 

堺市のサイトによればここは「宮内庁が反正天皇の空墓として陵墓参考地に指定し、管理して」いるそうです。

ニサンザイ古墳 【世界文化遺産 構成資産】 堺市

 

前方部側の堤西側は公園になっていて、ラジオ体操の最中でした。

 

墳丘右側(南側)に濠を。

 

前方部右裾側からの全容。右奥が後円部。

 

水を湛えた周濠が素晴らしく、魅了されました。

古墳築造当初は空堀だったとの説もあると思いますが、造った人は水が演出する効果をわかっていたのではと感じます。

定の山古墳 大阪府堺市北区百舌鳥梅町

前回の御廟表塚古墳と百舌鳥川を挟んで南300mにあるのが定の山(じょうのやま)古墳。

 

公園として整備されている、上れる古墳でした。

 

ビョウヤナギ(ヤマブキだと思ってました)の間を。

 

カーブを描く緩い上り道。

 

墳丘稜線も、気持ちのよい曲線。

 

墳頂から東方向。

 

南方向。

 

ズームすると、このあと向かうニサンザイ古墳。


西側を。

 

西側に降りると説明板が。定の山古墳は西側に前方部がついていた帆立貝形前方後円墳でした。

定の山古墳
時代:5世紀後半
古墳の規模:墳丘長69m、後円部径55.6m・高さ7m
古墳の形:帆立貝形前方後円墳
定の山古墳は、百舌鳥古墳群の東部にあたる百舌鳥川を見下ろせる台地の辺縁部に築かれた、前方部を西に向けた帆立貝形の前方後円墳です。これまでの調査で後円部の西側から埴輪列が見つかり、後円部が2段に築かれていること、墳丘の周囲には濠が巡ることがわかっています。前方部の正確な形状や埋葬施設、副葬品の内容は不明です。
濠からは朝顔形埴輪を含む円筒埴輪や、家形埴輪などの形象埴輪、須恵器の壺や坏などの遺物が見つかっています。堺市

 

実測図部分。周濠が水色で示されています。

 

堺市のサイトには、「前方部が削られるときには、墳丘中央に埋葬施設の可能性のある粘土の塊があった」との記載も。

定の山古墳 堺市

 

短い前方部があった西裾から。

 

後円部を南側から。


後円部裾のカーブ。

 

土地区画整理事業完成記念碑には、両くびれ部に造り出しのつく前方後円墳のレリーフが。