墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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琴塚古墳 岐阜県岐阜市琴塚

2022年6月4日・5日の岐阜の墳行、初日の最後に訪ねた古墳は岐阜市の琴塚古墳でした。

内濠・中堤を含めて形が美しく残る前方後円墳です。

 

周囲は細い道ばかりで車を停める場所がないです。南東側の公園のトイレの北東側に1台分ほどのスペースがありますが、管理用の入口のような雰囲気でした。

 

その公園のそばにある解説板。意外に新しいものでした。

琴塚古墳
国指定史跡
昭和9年(1934)8月9日指定
琴塚古墳は、全長約115mの岐阜県内で3番目の大きさを誇る前方後円墳です。周辺には各務原市にかけて4つの前方後円墳で構成される古墳群がありましたが、現在は琴塚古墳と柄山古墳(各務原市)のみが残っています。
前方後円墳とは、前方部と後円部の墳丘を組み合わせた形の古墳で、古墳が造られた当初は後円部が大きく・高く造られていましたが、次第に前方部のほうが幅広く・高く造られるようになります。墳丘には段々状のものもあり、段の数は被葬者の格式と関係があると考えられています。
琴塚古墳は前方部と後円部がほぼ同じ幅であり、この形から5世紀頃に造られたと考えられ、墳丘は樹木の覆われ明瞭ではありませんが、格式の高い三段に築かれていた可能性があります。また、周囲には岐阜県内では珍しい二重に巡らされた堀が造られました。現在外堀はほとんどが畑や道路の下に隠れていますが、外堀を含めた範囲が国の史跡に指定されています。
被葬者は、伝承では景行天皇の妃である五十琴姫命であると言われていますが明らかにはなっておらず、埴輪や副葬品などの遺物もほとんど発見されていません。しかし、全国の同じ時期の古墳では鏡や武器・武具などの副葬品が多く見つかっており、琴塚古墳でもこのようなものが納められたのかもしれません。
現在、琴塚古墳は琴塚顕彰協会や地元の人たちによって保護活動が行われ、大切に守られています。
令和2年9月 岐阜市

 

いよいよ周濠へ。

前方部左裾の角にも石に刻まれた解説が。(墳丘の左側面と前方部先端側を広角で)

 

石に刻まれた解説板。墳丘データはこちらのほうが詳細。

史跡 琴塚古墳
位置:岐阜市永森佐兵衛新田
面積:279アール
指定:文化財保護委員会 昭和9年8月9日
形状:平地に築かれた二重の周濠をもつ前方後円墳である。墳丘の全長115m、後円部の直径69m、前方部の幅74.2m、高さ7.8m、内濠の幅約18.2m、内堤の幅14.5m、外濠の幅7.3m。
付記:この古墳は柄山古墳などと共に前方後円墳墓群を形成し、この地域には約1500年前に有力な豪族が栄えていたことを推定させる。古墳時代中期のものとして代表的なものである。
昭和38年5月 岐阜市教育委員会

 

前方部先端側の中央の標柱。宮内庁管理だとこのあたりが拝所ですね。

 

墳丘の右側面。周濠は広く、しっかり整備がされていて気持ちがよいです。

運動会や競馬もできそうな感じ。

 

後円部にさしかかってのカーブ。

 

一周回れるって素晴らしいです。

 

振り返ってのカーブ。

 

その位置から右手の前方部方向。


中堤の盛り上がり。しっかり残っています。

 

前方部へのストレート。

 

残念なのは墳丘へ立ち入れないこと。この鞍部のあたりの稜線が見えました。

 

造り出しの突き出た部分。

 

西の外濠側から。

この先は車で入るのは厳しいです。

柄山古墳 岐阜県各務原市那加柄山町

岐阜県の濃尾平野北縁には標高100~300mほどの小山が群島のように展開していることを今回初めて巡ってよく認識しました。古代の人々が好みそうな地形だなと実感も。

その小山の一つの尾崎権現山の西麓に、全長82mの柄山(からやま)古墳が残っています。(東麓には現代の斎場・墓地、瞑想の森)

 

南西の前方部先端側に石段が。

 

古墳時代前期の前方後円墳。

柄山(からやま)古墳
各務原市那加柄山町154
県指定史跡
柄山古墳は、独立丘陵柄山の山頂に築かれた前方後円墳です。今からおよそ1600年前(4世紀後半から5世紀初頭)の、古墳時代前期に造られました。
柄山古墳の規模は、全長が約82m。後円部の直径が約54m、高さが約8.4m。前方部の最大幅が約38m、高さが約4.9mを測り、後円部に比べて前方部が小規模という、初期の前方後円墳に見られる特徴を残しています。
墳丘のつくりは、前方部は二段、後円部は三段に築造されており、古墳の側面をおおう葺石や、埴輪の存在が確認されています。特に埴輪については、高さ11.6㎝の、鶏を模した形象埴輪の東部が出土しています。なお、古墳の主体部(遺体が埋葬された場所)については不明です。
柄山古墳の周辺には、ここから西方約800mのところに、同じく前方後円墳で全長約115mの琴塚古墳があります。また、すでに消滅していますが、ここから西方約400mのところにも、前方後円墳で全長約85mの南塚古墳がありました。このことから、この地域には古墳時代の前期に、こうした大きな古墳を築造した有力な豪族が存在していたことがうかがえます。
各務原市教育委員会
寄贈:各務原飛鳥ライオンズクラブ

 

解説には独立丘陵の柄山の山頂とありますが、それほど高さはなく、どこからが墳丘かがわからなかったです。

 

石段の先、土の道になってから振り返って。


このあたりが前方部墳頂でしょうか。

 

その先、後円部方向。

 

鞍部のあたりから後円部を。

 

後円部墳頂は木の枝が錯綜。

 

少し見えた北西方向。

 

後円部縁から前方部方向。

 

斜面から、チラリ。

 

奥が前方部。

倒れた木で、どっちを向いて撮ったかがわかりました。

各務原市のサイトでは、出土した埴輪(鶏の頭部分)の画像が見られます。

柄山古墳|各務原市公式ウェブサイト