墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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高根山古墳 静岡県浜松市浜北区尾野

前回のつづき。 

興覚寺後古墳から高根山古墳へは直線距離だと500mほどだが、ぐるりと回るルートなので徒歩26分と出ていた。

 

ひとつ東側の尾根の縁になるが、すぐ北を新東名が通り、その北はゴルフ場として開発されている。よく残ったが消失した古墳も数十になるようだ。

 

新東名にかかる橋をくぐる。橋の下には釣り人が数人。右の山に向かう荒れた階段道が近道のように見えて登りかけたが、鉄塔整備用のようだったので引き返した。

 

高速道を見下ろす位置まで上って左に見ながら進み、金刀比羅神社の手前を右に入って一旦坂を降り、高根山の周りをほぼ一周するように高根神社の参道を西へ歩く。

徒歩の所要時間に高低差は加味されているのか疑問に感じながら(実際は起終点を逆にすると時間が変わるのでされているようです)上っていくと高根山神社。 

 

まずは拝殿で参拝。

 

振り返ると素晴らしい眺めがあった。

 

神社の由緒。古墳についても一言だけ触れられていた。

式内 高根神社
祭神:保食神 祭日:初午の日
岩本神社 祭神 岩本大神(天狗)
蚕養神社 祭神 稚産霊神
高根神社は、一千有余年前から祭られ、始めは多賀神社といわれましたが、その後明治の初めまで観世音と併せ祭り、高根山観音と呼ばれていました。拝殿は足利時代の文亀2年(1502)の造営といわれ総欅造りで茅葺きでしたが昭和の末、銅板にしました。
背後の岩の上のお社は、向かって右が高根神社本殿、左が岩本神社で、高根神社の守護神とされていますが、その名の示すように、古の巨石信仰の名残りと思われます。
蚕養(蚕影)神社は、この下の表参道の脇に祭られており、養蚕の神とされています。
高根神社は、衣食住を授け、また之等の生産の神として、古くから崇敬されています。
なお、巨岩の左右には、大戦末期の塹壕の跡があり、山頂には古墳もあります。 

 

最初の数段は石段だがあとは鎖場の登りとなるルートがあった。 

 

少し登って振り返ったところ。

 

岩場を上がると高根神社本殿(右)と岩本神社(左)があった。帰路に参拝。 

 

山道を進むと前方に石組みが見えてきた。

 

自然林の中の石組みに神々しさを感じた。

 

昇寛さんや額田大玉さんのサイトでの写真を見ると、石室上の倒木はない。 

 

奥壁側から。石室に光が差し込む状態。

 

開口部は南を向いている。手をつくようにして入室。

 

中は意外に広かった。 入口付近から奥壁。

昇寛さんのサイトによれば、高根山古墳(高根山B5号墳)は6世紀前半の築造と推定される径15mの円墳で、全長3.5mの横穴式石室が露出しており、玄室は全長3m・幅2.1mの方形のプラン。額田大玉さんのサイトには玄室高は1.8mとあった。

http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/hamamatu_takane/

http://kofuntokaare.main.jp/4goufun/page820.html

 

さきほど外から見下ろした奥壁上部のすき間。

 

中から見上げる天井石は大きく感じる。

 

今地震が来ないように祈りながら。

 

奥壁から入口方向。

 

同じ位置からフラッシュで。玄門は両袖式。側壁は上に行くに従ってすぼまっていく持ち送り式。

 

 

すき間から見た外の世界。

外へ出たら置いた荷物のあたりから小動物が飛び出していってとても驚いた。 石室に入る際には注意していたが、外はノーマークだった。

 

 

参道を東に戻ると金刀比羅神社があった。

 

江戸時代の建物がまとまって残っている。

 

そこから下る石段では手摺りがあって助かった。

 

下から見上げたところ。

つづく。

興覚寺後古墳 静岡県浜松市浜北区宮口

前回のつづき。

天竜二俣駅で転車台を見学した後は再び付近の古墳を巡った。 

徒歩で行けそうな範囲で一筆書きに目星をつけて。

 

初めに天竜二俣から西に4つ目、宮口駅から徒歩5分の興覚寺後(こうがくじうしろ)古墳を目指した。

 

興覚寺後古墳はホームの「宮口名所案内」にも記載あり。

 

線路の南側に瓦屋根の駅舎。

 

目指す古墳は北側なので、ホームから階段を下りて構内踏み切りへ渡った。

 

構内踏み切りから西方向。上り用ホームもあった。

 

「抜け道」のような通路から北へ斜面を上がると、東へ六所神社への参道が。古墳の名前に付いている興覚寺はこの参道の右側にあったようだ。

 

その位置から振り返って。茶摘みのマシンが活躍中。

 

参道を進むと右手に古墳の説明板があった。

 

15年前の設置板にしてはきれい。

浜松市指定史跡 興覚寺後(こうかくじうしろ)古墳
昭和61年6月4日指定
全長33mの前方後円墳です。墳丘は前方部を西に向けています。
後円部には死者を葬った横穴式石室があります。石室は南向きに開口していて、片袖式石室と呼ばれる形状をしています。この石室は横穴式石室の中でも古い特徴を持っていることから、遠江における導入期の横穴式石室であるということで注目されています。
昭和61年に発掘調査が行われ、石室内部から金銅張の馬具をはじめ、大刀や鉄鏃などの鉄製品、玉類、須恵器が出土しました。
古墳の築造時期は6世紀前半(古墳時代後期)と推定されています。この古墳は、当時この地域における有力者の墓と考えられています。
平成15年3月 浜松市教育委員会

 

小道は墳丘に続いていた。後円部から東側。 

 

後円部から西側、前方部のある方向。その先に興覚寺のお堂があった。 

 

墳頂の周囲は木々が繁っていたが、一ヶ所だけ遠くが見通せる”窓”があった。

 

そこをズームで。台地の先端に立地していることがわかる。

 

南側に回りこんでいくと石室が開口していた。

 

かがめば入れる高さ。

 

しゃがんで撮った内部。

 

フラッシュで(まず安全確認)

 

昇寛さんのサイトによれば石室全長8m。玄室長で5.6m、玄室幅2.5m。

http://sgkohun.world.coocan.jp/archive/index.php/hamamatu_kokaku/

 

奥壁。

 

奥壁前から振り返って。玄室への仕切りの石組みが右の片方だけなので「片袖式」

 

巨大な天井石だが、灯りの持参を忘れたのでその場ではよくわからなかった。

 

暗さに慣れると落ち着けた。

 

石室を出て振り返ったところ。下部中央のやや右が開口部。

 

元の参道に戻ると、すぐ先に六所神社。

 

そのあたりから南側。”普通の住宅地”が広がっていた。

つづく。