墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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稲荷塚古墳群 茨城県龍ヶ崎市城ノ内

前回のつづき。

愛宕山古墳跡の次は、北東に直線距離で2km強の住宅地を目指した。

ニュータウンの台地端の公園に墳丘があった。

 

振り返っての風景。

 

公園名の表示はない。

 

よくある公園だが、土盛りの大きさが普通ではない。

 

墳丘中腹に立つ木も異様に大きい。

 

ちょっとした広場のような墳頂。

 

「いばらぎデジタルマップ」でこの位置・城ノ内3丁目(旧八洞原町)を見ると遺跡の印があり、「方墳1、円墳1」と記されていた。

こちらの大きな墳丘が方墳と思われる。

 

墳丘の隅は四角く残されていた。

 

台地上側の風景は”ニュータウン”

他の方向は樹林で眺めがなかった。

 

墳丘から東側に続く公園。

 

こちらの隅も上から見ると方墳の雰囲気。

 

下から見上げた墳丘。4~5mの高さはありそう。

 

墳丘の南側。樹林の先は崖になっている様子だった。

 

方墳の裾から見た小さな墳丘。

 

こちらが円墳のようだ。

 

右が円墳。左奥が方墳。

 

このあたりで南側の樹林が少し開けて谷の向こうの小山が見えた。

おそらくこの後に訪ねた冨士浅間神社の、自然地形の冨士塚と思われる。

つづく。

愛宕山古墳跡・愛宕神社 茨城県龍ヶ崎市

前回のつづき。

グーグルマップ上を見ていたら、歴史民俗資料館から400mほど南東に「愛宕山古墳」の印があったので行ってみた。 

台地の上に市立愛宕中学校と愛宕神社がある。参道の左は愛宕中へ上る道。

 

台地の縁にある参道。 

 

 石段はなかなか急だった。

 

境内へ上がって見下ろしたところ。 

 

まず拝殿に参拝。

 

拝殿前から振り返ったところ。

 

由来を記した石碑があった。

寛永18年(1641)に伊達政宗の嫡子陸奥守忠宗が創建。 

 

 

宝永5年(1708)に再建された本殿。

 

見事な彫刻が施される。

 

こちらは親子猿。左甚五郎作と伝えられる鷹の彫刻もあったことを後で知った。

 

境内にて墳丘の痕跡を探したが何も見当たらなかった。

こちらの古墳マップさんのサイトによれば、かつて隣の愛宕中を含む台地上エリアに前方後円墳を含む古墳群があったようだ。明治期に人物埴輪も出土している。

http://kofun.info/kofun/3045

 

社殿の裏手には、おそらく神社創建前からあったと思われる巨木が建っていた。

 

対のように2本。どちらもスダジイのようだ。

 つづく。