前回のつづき。
久々の古墳を見た後は王子(飛鳥山)の渋沢史料館へ向かおうと思っていたが閉館時間になっていたので、十条駅近くの煉瓦塀へ歩いてみることにした。
石神井川にかかる橋を再びわたって振り返ったところ。右の坂の方向が四本木稲荷神社。
その橋(観音橋)のたもとには谷津大観音。
平成20年に造られたばかり。
すぐ北にある南照山観音院寿徳寺が建立した。この場所も寺域。
東を向かれている。後姿も凛々しかった。
住宅地の中を歩く。結構なアップダウンで階段部分も多い。
埼京線の踏切をわたり東京家政大学の敷地際を北に向かう。構内には東京家政大学博物館があって興味深い展示「昭和のくらし」(~6/16)があったが日曜日は休館だった。
そのまま北へ歩くと線路沿いに目的地の塀があった。
北区立十条富士見中学前の、埼京線の踏切から。
反対側は表面のモルタルが剥がされて、きれいなレンガ壁が顔を出していた。
説明板も完備。
煉瓦(れんが)塀の由来
十条台1丁目一帯には旧陸軍の東京砲兵工廠銃砲製造所が所在していました。この製造所は、日露戦争の行われていた明治38年、小銃弾薬の増産を図るために現在の東京ドーム周辺から移転してきた工場施設で、約10万坪の敷地に煉瓦造の工場等が建てられていました。
本校とJR埼京線の境界に現存する煉瓦塀は、その製造所西側の敷地境界にあたり、煉瓦に残されている刻印から、葛飾区の金町煉瓦製造所の煉瓦が使われていることが判りました。北区教育委員会
左は中学校の駐車場敷地。上記の写真パネルを見ると手前に突き出すコンクリは補修で付加したもののようだ。
踏切を戻って線路沿いの細道を十条駅へ向かった。女子学生の多い道。
途中の横道の民家に、道へはみ出した巨木があった。
すぐに十条駅。ホームと踏切が接していて、まるで都電の駅のようだった。
なぜか英語表記の方が目立つJUJO STATION。
ロータリーには「十条銀座」の入口があった。
道幅とカーブの度合いが心地よい感じ。活気のある商店街が駅から北に400mほど続く。
枝の道にもアーケードが続いていた。
夕食のおかずにアジフライとコロッケを買って帰った。