前回のつづき。
大塚・歳勝土遺跡公園内には「都筑民家園」があった(open:9時~17時)
長沢家は、江戸時代中・後期、旧牛久保村の名主。
主屋建物の形は、主屋と馬屋が平行に配される、武蔵南部特有の「ヒロマ型」だそうだ。
説明板もあった(少し短縮)
18世紀の中頃~後半、この辺りは小高い丘が続き、大部分は畑か雑木林でした。丘陵の谷あいや川筋には、湧き水などを利用して拓いた水田がありました。長沢家はそうした丘陵の南側の裾に建てられていました。
今回復原した旧長沢家住宅は、約200年前の江戸時代の部材を使って建築当初の姿を基準に復元されています。
元の場所は、1kmほど北、現在の長徳寺のあたり。
昭和46年!の写真。
台地と水田、農家が点在する風景は、昨年9月に成田空港の南東エリアでも見た。
主屋内では何かイベントが行われていた模様。奥のたたみの部屋ではこどもたちが遊んでいた。
野太い梁と、竹、藁がむき出しの天井。
土間のカマドは現役だった。
きれいに切り揃えられた屋根の端が清清しい。
主屋の隣には、茶室も建てられていた。
主屋の縁側はひなたぼっこする人で賑わっていた。
この日の主目的の講演会開始まで、まだ少々時間があったので、さらに遺跡公園を歩いてみることにした。
ネコヤナギ?の芽のそばにカマキリの卵?
青々とした竹林。
カラフルなキリン(アート作品)が2体。
竹林の間から望む台地下。
斜面の落葉樹。
台地の南側に下りていく道もあった。
上の位置から振り返ったところ。
この斜面には、お庭に神社もある民家もあった。ここで暮らしたい。
台地を西の角(歴史博物館脇交差点)から見上げたところ。
角は巨大な「都筑まもる君」が守っていた。遺跡も守ってほしい。
つづく。