墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

曙坂~石畳の小路 東京都文京区西片・白山界隈

下記の本、「おれの細道」の最後の方で紹介されていた本郷界隈を訪ねるコースで、文京区白山1丁目の細道が気になったので訪ねてみた。

massneko.hatenablog.com

 

最寄駅は都営三田線の白山駅になるが、東京メトロ南北線の東大前駅で下車してグーグルマップに載っていた「曙坂」へ向かった。

手すり付き石段と斜路のある坂。

 

途中の踊り場に説明板がある。

 

石段となったのは戦後になってからだった。

曙坂 西片2丁目7と14の間
「江戸砂子」によれば、今の白山、東洋大学の北西は、里俗に鶏声ヶ窪(けいせいがくぼ)といわれるところであった。明治2年(1869)に町ができて、鶏声暁にときを告げるところから、あけぼの(暁と同じ)を取り町名とした。この坂の場所と、旧曙町、鶏声ヶ窪とは少し離れているが、新鮮で、縁起の良い名称を坂名としたのであろう。
この坂は西片と白山を結び、人びとの通学や生活に利用されてきた。昭和22年(1947)には旧丸山福山町・曙会の尽力により石段坂に改修された。
文京区教育委員会 平成13年3月

 

 歴史を感じる石積み。

 

坂下から。

 

坂下に昭和22年に立てられた石碑があった。右上が少し欠けてしまったが、改修時のものだろう。

 

坂下で直交する道は等高線に沿うようにカーブしていた。

 

さらに少し下りて、住宅街を進むと、細道エリアへの入口があった。

 

石畳が味わい深い。

 

左右を見ながらゆっくり歩く。こちらは行き止まりか。

 

途中に気になる日本家屋があった。あとで調べると写真スタジオだった。和風スタジオ花みち

 

ここは石畳が三連。

 

シンプルな店の名前に惹かれた。

 

庭木も立派な木造家屋。

 

雨戸の木目がいい雰囲気。

 

こちらは別の木造家屋。

 

細道の向かいは空地になってしまっていた。

 

欄干に装飾もある。

 

少し幅広の路地もあったが車は進入禁止。

 

庭木の下をかがんで通った。

幻坂の現地写真 東京都品川区北品川

先月、田園調布の宝萊山古墳へ行った際に、付近の坂道の「24%」という傾斜に惹かれたが、検索すると都内(23区)で傾斜ランキングを付けている方がおられた。

坂ランキング-無意味つづり-

「坂」と「階段」との違いが微妙な感じもするが、上記で、4輪車が通れる”太坂部門”の一位:品川区の「幻坂:29%(16度)」のことを知り、現地へ行ってみた。

 

公式の坂名かは確認できなかったが、自転車に乗る方々の間では「激坂」として有名らしい。

東京都最激坂との呼び声多数!「幻坂」を自転車で登りきれるか | スポーツ施設・スポーツイベント情報検索サイトSPOT+[スポットプラス]

 

坂下からアプローチ。

 

最初のスロープを上がったところ。

 

そこから左に直角に曲る。

 

そこから先は一旦緩やかになる。 

 

車は行き止まりの表示あり。 

 

2番目のスロープを上がったところ。ここでさらに右に直角に曲る。

 

曲った先が急坂だった。石段が横に取り付けられた”坂”

坂上から振り返ったところ。

坂下からの写真は撮り忘れていた・・・

 

普通の人が自転車で通るのは大変危険かと思います。

 

一番きついと思われるあたり。マンホールの蓋も斜めだった。 

アプリ「東京時層地図」を見ると、明治の初めにはまだ坂はなかったが、明治39~42年の地図には載っていた。 

 

 

上記の坂の南側に、もうひとつの坂が並行する。入り口には擦った跡が多数。駐車した車か。

 

階段の端は、なぜか擬似丸太仕様。

 

上から見たところ。

 

そこから左に直角に折れてさらに続いていた。

 

最後の階段はかなり急だった。

 

最上部から振り返ったところ。

 

そこから東に進むと、すぐに品川のビル群が見えてくる。

 

品川駅方向へ坂は長くて緩やか。