墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

心敬塚古墳 神奈川県伊勢原市三ノ宮

前回のつづき。

松山古墳で眺めを堪能した後は、400mほど北にある心敬塚(しんけいづか)古墳へ向かった。

 

墳丘からの坂下のバス停名は、伯母様(おばさま)

歩いてきた道沿いに「伯母様村観音」があり、このすぐ東で大山を水源とする鈴川に架かる橋も「伯母様橋」であったことも後で知った。

 

伊勢原市のサイトの「いせはらのトリビア」によると、江戸時代の書物に、この地が小田原北条氏の家臣であった布施弾正左衛門の伯母の所領地だったことに由来する、と記されてるのだそう。

 http://www.city.isehara.kanagawa.jp/docs/2015071300070/

 

そこから急坂を上る。

 

右手に墳丘の木立が現れた。

 

三ノ宮高区配水池の東隣。金網に囲まれた高い場所にあって全貌がわからない。

 

施設のある西側から見た心敬塚古墳の木立。

 

さらに西から。四角い生け垣は水道局の配水池。

「神奈川の古墳散歩」によると、松山古墳以上に大きい円墳だが詳細は未調査のため不明だそう。
その名称は室町時代連歌師・心敬(しんけい)が、その傍らに葬られたことに由来するようだ。

 http://www.geocities.jp/kanagawa_kohun/atugi_isehara/atuise_5.htm

 

心敬は「松岡正剛の千夜千冊」で、非常に深く取り上げられている。

https://1000ya.isis.ne.jp/1219.html

 

墳丘へは近づけなかったが、近くからの眺めは楽しめた。

 

ズームすると松山古墳が。

 

登ってきた坂と違う道を東に下ると、舗装の割れ目からきれいな花々が咲いていた。

松山古墳 神奈川県伊勢原市三ノ宮

前回のつづき。 

尾根上古墳を(遠目に)探訪後、比々多神社へ戻ってから境内から北に400mほどにある松山古墳へ向かった。

 

スマホマップを確認しつつ、のどかな山里を歩いていくと、枝道の坂上にそれらしき木立が見えた。

 

高さのある墳丘が残っていた。畦道を伝って近づく。

 

裾は急斜面。ということは周囲から削られているようだ。

 

墳丘上はジャングルのようだった。

 

裾を一回りしたが、上がれるような雰囲気は無かった。

 

墳裾からは東側に相模平野が一望できた。目の前は伊勢原の市街地でその先は厚木市南部。相模川までは8.3kmで、川向こうは海老名市になる。

 

パノラマで。

 

南には高麗山。その前に広がっているのは平塚市街。

 

道路まで戻って見上げた墳丘(の木立)

 

後で調べていたら、「神奈川の古墳散歩」の解説に行き当たった。

松山古墳の現状は径19m・高さ5mだが、半円状に墳丘をめぐる黒土の帯を周溝と見立てると、当初の規模は径34m・高さ6mの円墳となり、石材の露出がないことから竪穴式石室とすれば5世紀を下らない頃の築造と推定されるとのこと。

その解説には、丘陵の端で360度の眺望が得られる立地により「相模で一番美しい古墳」とあった。

http://www.geocities.jp/kanagawa_kohun/atugi_isehara/atuise_5.htm