読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

ジャネー洞(藪地洞穴遺跡) 沖縄県うるま市与那城屋慶名(藪地島)

沖縄県の遺跡、戦跡、博物館

前回のつづき。

与那城監視哨跡へ行った際にグーグルマップを見ていたら、すぐ近くの島の突端に、ジャネー洞と書かれた遺跡のマークが目に入ったので行ってみた。

 

カーナビに目的地設定をして橋で島へ渡る。橋を過ぎてすぐに「ジャネー洞」の小さな表示を見かけたが、その先に表示は無かった。

カーナビの指示どおり未舗装の凸凹道を草を掻き分けるように進むと農家の門前に行き当たる。Uターンして別の道を進むと、こちらも途中で未舗装になった。

 

ワイルドな水溜り。一度降りて水深を確かめた。

 

カーナビに道が出ない不安の中、数分で終点に到着。 

 

説明板があってまずほっとした。

 

なんと6500年前に遡る土器が発見された洞穴だった。

藪地洞穴遺跡(Yabuchi Cave Ruins)
1959年(昭和34年)に嵩元正秀、外間清徳、平敷正一、宮城幸徳の4氏らによって発見され、翌年、国分直一氏らによって調査が実施された結果、約6500年前の土器や貝の鏃等が発見されました。
発掘された土器は沖縄で初めて発見された形であったことから、国分らが地名をとって「ヤブチ式土器(爪形文時とも言う)」と名づけました。この土器は九州から南西諸島に広く分布し、共通する文化圏を占めることになり、貝の鏃は中国の南部の文化と共通すると考えられています。

 

説明板から振り返ったところ。車はレンタカー。

 

説明板の後ろに下り道があり、その先が広場のようになっていた。 

 

そして奥には大きな横穴が口を開けていた。

 

思わずパノラマで。

 

カフェも出来そうな広さ。ガンガラーの谷・サキタリ洞遺跡を思い出す。

 

大きな鍾乳石がいくつも垂れ下がっていた。

コーンが置かれていてほっとする。

 

コーンはいくつかの場所を仕切っているだけで、洞穴内にも入れるようになっていた。

 

おそるおそる下りてみた。

 

中にもコーンがあったが、横を通れるようになっている。

 

そこから振り返って。

 

更に奥に道が続く。

 

フラッシュで。中は真っ暗、灯りを持ってこなかったのでここで引き返した。

 

さらに奥をズームで。

 

そこから入口を振り返ったところ。

 

フラッシュで。

 

見上げる天井。

 

外へ出て、振り返って一息ついた。

 

こちらの方のブログに内部の写真がある。小さな石碑がいくつか並び、地元の方にとっての拝所になっているようだ。

http://okinawanofukei.ti-da.net/e2331201.html

 

後で調べていてハブが多い場所だと知り、ぞわっときた。

ハブに注意 - ジャネー洞の口コミ - トリップアドバイザー

 

夏は避けて、懐中電灯を用意して、できれば仲間の方と探訪されることをお勧めします。

 

”広場”から、洞穴と反対側に海岸への道があった。

 

草の間から海が。

 

海は非常に綺麗。

 

小さなプライベートビーチだった。対岸は浜比嘉島

 

もときた道を戻った。

つづく。

与那城監視哨跡 沖縄県うるま市与那城屋慶名(よなしろ やけな)

沖縄県の遺跡、戦跡、博物館

前回のつづき。

勝連城を見た後、そこから3kmほどにある与那城監視哨跡(よなしろ かんししょうあと)へ向かった。

こちらの方のブログで知った戦争遺跡。

teitowalk.blog.jp

 

川沿いに広い道に車を停めさせて頂いて、郵便局の右の道を進む。

 

井戸の名残り(イシガー)を右手に見つつ。

 

火事にあったような家を右手に見ながら。

 

すぐに案内板があった。

 

防災路を進むと左手に説明板があった。

与那城監視哨跡

与那城監視哨は、航空機を早期に発見し、敵味方を区別して防空機関に知らせるための施設で、屋慶名(やけな)のイシマシムイの丘上にあります。

八角形のコンクリート製で、入口以外の7つの壁面にはひとつずつ窓枠があり、360度見渡せる構造になっています。外側の窓枠から下の部分は土に埋まっています。
当時、沖縄県内には11ヶ所の防空監視哨が設置されており(那覇糸満、本部、金武、国領、嘉手納、宮古八重山、西表、久米島)、本監視哨もその一つです。
本監視哨で任務に就いていた方の証言によると、監視哨が最初に出来たのは1938年(昭和13年)頃で、雨戸を6枚立てただけの簡単な作りであったようです。1943年(昭和18年)にコンクリート製に建て替えられたようです。
1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)では、敵機来襲を最初に発見したとして、当時の泉沖縄県知事から感謝状が贈られたそうです。
壁面には沖縄戦当時銃撃を受けたときの弾痕が、今でも残っており、戦争遺跡として貴重な文化財です。
設置:うるま市教育委員会

 

そこから先は土の道。

 

地面が見えていなかったら引き返そうと思ったが、見えていたのでおずおず進む。

 

細いロープにどきっとしながら。

 

 すぐ上がったところに遺構はあった。

 

弾痕が数多く残っている。

 

内部の床面。周囲が土に埋もれて高くなっている。

 

裏へ回ると中に下りられた。

 

コンクリート柱が上の部分しか残っていない。

 

被弾時だけでなく、70年の歳月を経て、もろくなっているようだ。

 

屋根を支える周囲の柱も危うい感じ。

 

どんな気持ちで監視にあたっていたか。

 

外へ出ての眺め。奥は平安座島(へんざじま)

 

もときた道を引き返した。

 

屋慶名の住宅街には魅力的な細道もあった。