墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

金冠塚古墳 福島県いわき市錦町堰下

前回のつづき。

いわき市考古資料館見学後、湯本ICから常磐道に乗り、ひとつ南の「いわき勿来IC」で一旦降りて金冠塚古墳を向かった。勿来の関公園の北3kmほど、この日の最後に訪ねた場所。

 

インター出口で国道289号バイパスを東に進み、常磐線の陸橋手前で側道に入ると、橋の下に説明板があった。

福島県史跡 金冠塚古墳
本古墳は直径28m、高さ3mの円墳で、墳丘は二段の段築を行っている。昭和25年と28年の2回にわたって発掘調査され、内部からは全長7.9mの横穴式石室が発見されている。石室は前と後ろに玄室を持つ複式構造となっている。床面は三層に分かれ、それぞれの層から遺骸が、合計13体分出土している。追葬、重葬が行われたと推定される。
遺物としては金銅製飾金具、金環、金銅製鞘金具、責金具、直刀片、管状銅製品、挂甲小札、馬具、ガラス製小玉、コハク玉、骨鏃、須恵器、土師器などかなり豊富である。これらの遺物は現在、東京国立博物館及び福島県教育委員会に保管されている。
本古墳は7世紀前半に築造された当地方を代表する古墳である。
指定昭和30年2月4日
平成12年7月 福島県教育委員会 いわき市教育委員会

 

最初は陸橋で削平された古墳跡かとがっかりした。

 

そのまま帰りそうになったが、通路が続いていそうだったので進んでいくと・・・

 

陸橋の反対側に墳丘が残っていた。

陸橋下の説明板に地図や矢印があるとよいかと思います。

 

フェンスの脇に鳥居も。

 

墳頂には祠があった。

 

まずは祠に参拝。

 

上ってきた方向。

 

そこから左側。 ぎりぎりまで擁壁。

 

バイパスは墳丘を避けて作られたようだ。

 

敷地の隅に刈られた草が集められていた。大事に整備されている。

 

墳丘の南側は「レジナス化成」の工場。古墳の周りだけ出島のようにフェンスで囲まれていた。

 

2段築成が、はっきり認められる墳丘。

 

回り込んでいくと、石室の天井石が露出していた。

 

横穴式石室が開口している。説明板に全長7.9mとあったもの。

 

頭がやっと入るくらいの高さ、さすがに入る人はいないだろう。

ここでもマニュアルフォーカスに難儀して、奥を写せなかった・・・ 

後で調べるとOBITOさんのサイトの写真では、まぐさ石がわかりました。

http://obito1.web.fc2.com/iwakiminami.html

 

パノラマで。

 

再び入口側から。背面に常磐線が通る。

いわき市考古資料館で購入した「いわきの遺跡めぐり」にあった説明によれば、かつては線路沿いに7つの円墳が並び「中田七曜塚」と呼ばれていたそうだ。

金冠塚古墳で多くの人骨が出たのは、長期にわたる追葬が想定しうるとのこと。


前出の本には、出土した副葬品のうち金銅製龍紋透彫金具三点は銅板の片面に鍍金した後に内部に透かしを彫り抜くもので、こうした金属製品は倭王権より賜与されたもので双方の間に従属関係があったことを窺わせる、とあった。
写真は福島県文化財センターのサイトで見られる。

http://www.mahoron.fcp.or.jp/bunkazai/362.htm

いわき市考古資料館 福島県いわき市常磐藤原町手這

前回のつづき。

中田横穴の見学会にて、いわき市考古資料館に出土品が展示されていると聞いたので帰路に寄ってみた。建物前には50台収容する駐車場。

 

入ってすぐは、子供たちが遊べるコーナー。

 

入館無料な上に「みんなで学ぼう いわきの歴史」という冊子をいただけた。

 

学校の副読本のような豪華A4版4色60頁で、古墳についても詳しく紹介されていた。

 

こちらの「ポシェットブックス いわきの遺跡めぐりー考古学への誘い96遺跡ー」は800円。

96遺跡のうち23は古墳や横穴墓で、大変充実した内容だった。

 

上記の本の前書き部分に、その通り!と共感できる文章があった(僭越ですが)

(前略)遺跡をたずねて、その場に立つと立地環境を体感できる。古代人もこの場で、活動したのだろうと感応し、頬をなでる微風に乗って、古代人の匂いと香りとささやきが・・・・。との熱き思いに浸れるのも野外の遺跡だららこそ可能なのである。

 

いざ、企画展示室へ。「石城国建国1300年展ーいわきの始まりー」という興味深い展示内容だった(2019年1月10日まで)

 

2018年は養老2年(718)に石城(いわき)国が建国されてから、ちょうど1300年にあたるのだそう。

 

展示室の様子。企画展示室は撮影可。

 

上記の背面には、中田横穴からの出土品が展示されていた。

 

以下の写真はグーグルフォトの編集アプリで色味を「都会」に修正しました。

 

まずは馬具。こちらの磯金具(いそかなぐ)は鞍に取り付けるもの。

 

こちらは壺鐙(つぼあぶみ)金具。

 

金銅製の馬齢(と小鈴)

 

装身具も様々。勾玉、棗玉、管玉、ガラス製飾り環。 

 

作ったばかりのような勾玉。

 

明るい青、深い青、緑も美しい色合い。

 

元々の貝製の、そして石製の釧は馴染み深いが、青銅製は初めて見た。

 

他にも須恵器や鏡や砥石、紡錘車などなど。副葬品は数も種類も豊富だった。

 

現地の様子。

 

パネル説明も大変興味深かった。

古墳時代、後期になると各地を支配していた豪族が、畿内の勢力から「国造」の称号を与えられる。

「国造本紀」と「常陸国風土記」で記録が異なるものの、古墳や横穴の豪華な副葬品は「国造」と考えられる有力者が存在していたことを示しており、いわきを含む南奥地域が早い段階で畿内地方の影響を受けていたことがわかるそうだ。

 

石城国造(いわきのくにのみやっこ)」や「菊多国造(きくたのくにのみやっこ)」のような有力者がいたことを物語る、古墳時代後期の、夏井川・滑津下流域などの主要な古墳・横穴。

 

上記の南、小名浜港のそばには「泉町C遺跡」などがある。

 

泉町C遺跡では古墳時代前期の畿内系や東海系の土器が出土し、6世紀~7世紀末には関東系と在地の土器が一緒にまとまって出る状況も見られる。
泉町・小名浜周辺は石城国建国以前の旧陸奥国の南端にあたり、泉町C遺跡は関東地方沿岸部から陸奥国にいたる海上交通の要衝。常陸国風土記には石城で造った大船の話があることから関東以南地域と船で交流していた可能性が考えられるそうだ。

 

泉町C遺跡の竪穴から出土した、7世紀後半~末の関東の(そしてそれを模倣した)土器。

 

奈良~平安時代には陸路(駅路)も整備された。 石城国には駅家が10ヶ所設定されたそう。

 

他にも多くの史料・資料が展示されていたが、目を惹かれたのはガラスケースに入った神谷作101号墳出土の天冠(てんかん)埴輪。

 

レプリカだが本物の風合い。国指定重要文化財の実物は県立磐城高校の収蔵庫に保管されている。

 

足がかわいい。

昭和23年、工事中に埴輪の一部が発見され、県立磐城高校の生徒により発掘調査行われた。砂丘上にあった墳丘は既になくなっていたが、数多く出土したの埴輪片を接合したところこのような立派な埴輪であることがわかったそう。

 

これは刀の鞘?

 

こちらは島田髷の女性。

 

腰には四鈴鏡(?)

 

植田の後田古墳出土の陶棺。関東以北では大変珍しいそう。円筒状の足は3×7=21本!

 

常設展示も素晴らしかった。

旧石器時代から江戸時代に至る遺物が展示されているが、特に縄文~弥生の土器の数が多く圧倒された。古墳時代のものも神谷作古墳群の大きな円筒埴輪や、牛転(うしころび)古墳出土の人物埴輪(笑顔が最高!)などが見られ、充実していた。

残念ながら常設展示室は撮影禁止。公式サイトに部屋の写真がある。

http://www.iwaki-koukoshiryoukan.jp/sisetsu.html#koukotoha

 

いわき市考古資料館は常磐自動車道の湯本ICに近く、あのスパリゾートハワイアンズからも徒歩14分!おすすめです。

毎月第三火曜日が休館。