墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「和歌山の埴輪~岩橋千塚と紀伊の古墳文化」展 @東京国立博物館・上野

「仁和寺と御室派のみほとけ」展を見た際に、同じ平成館で催されていた「和歌山の埴輪」を見た(3月4日で終了)

 

考古展示室の一画で”特集”としての展示。

岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群は約850基という日本最大級の数が集まる古墳群。その西端に立地する前方後円墳・大日山35号墳(全長105m)などからは見事な埴輪や副葬品が出土している。

和歌山市の紀ノ川河口部には、国の特別史跡である岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群が立地します。この古墳群は3km四方におよび、4世紀から7世紀にかけて造られた総数約850基の古墳が分布する、日本最大規模のものです。
大日山35号墳は、岩橋千塚古墳群の西端にある大日山の山頂にある6世紀前半の古墳です。全長105mの、和歌山県下最大級の前方後円墳です。東西の造出からは埴輪群が良好な状態で発見されています。翼を広げた鳥形埴輪、ふたつの顔を持つ両面人物埴輪、矢を入れ腰につける胡籙の形をした埴輪など、他に例のない独特な形象埴輪が出土する一方、近畿地方の大王墓と共通する埴輪も発見されていることが特徴です。
古墳時代には紀ノ川河口部は良好な港であり、朝鮮半島と交流を深めた地域として著名です。大日山70号墳では朝鮮半島から伝わった陶質土器や鍛冶道具が出土しており、岩橋千塚古墳群出土品からも朝鮮半島との関係がうかがえます。
本特集は、平成29年度文化庁考古資料相互貸借事業によるもので、和歌山県立紀伊風土記の丘が所蔵する作品を中心に紹介します。

 

位置関係を示すパネル。

 

紀ノ川の河口であった平野部を見晴るかすような丘の上に立地する。

その上流奥は奈良盆地南部につながる。 

 

グーグルアースをズームすると、長軸を南北にとる鍵穴の形がよくわかった。

 

以下は大日山35号墳(6世紀)の造り出し部から出土した埴輪たち。 

重要文化財の「力士埴輪」

解説によれば、力士は貴人や武人とともに儀礼に加わり、邪気を払うなどの役割を果たしたと考えられていて、片手をあげるもの儀礼に関わる所作と考えられるそうだ。

 

こちらも重文の「翼を広げた鳥形埴輪」


解説によれば、鳥形埴輪は4世紀から6世紀にかけて全国各地の古墳から発見されているが、飛翔した状態を表わすものは当古墳出土の2体の例しかないとのこと。この鳥はくちばしの先端が尖っているので鷹との説があるそうだ。

 

こちらも重文の「馬形埴輪」で、細かくリアルに模様まで表現された馬具が装着されている。


胸の飾りは馬鐸(ばたく)、鈴が付いた尻の飾りは杏葉(ぎょうよう)と呼ばれる。

 

背には鞍を、胴の両側に障泥(あおり)と鐙を提げ、手綱も見られる。たてがみの表現も見事。


円筒埴輪も重要文化財。

最下段が著しく高くなるという6世紀の和歌山での特徴を持つ。
近接する奈良盆地南部の埴輪とのつながりが想定されるが、畿内型と比べて表面をより丁寧に整えているとのこと。

 

こちらも重文の胡籙(ころく)形埴輪

胡籙とは、腰に装着する矢入具のことで、本体は布・革・板が金具で留められる。

 

この埴輪が出たことで、これまで金具のみの出土で全体像が不明だった胡籙の姿がわかるようになったそう。

 

こちらは独立したケースに展示されていた重文の「両面人物埴輪」

 2つの顔をもつ人物埴輪は国内唯一これだけ。

 

逆サイドから。髪型(下げ美豆良:みずら)が共有される。

 

 
一方の顔には、矢羽が線刻されている。

 

下からの角度で。鼻の穴も表現されている。

 

もう一方の顔には、鏃が矢印の形で描かれている。口の形は元からのもの。

 生と死と両方の世界をみることができた人物とする説があるそう。

 

埴輪が置かれた場所は、左右のくびれ部から出た「造り出し部」

2015年には復元埴輪が現地に設置されたようだ。

http://www.wakayamashimpo.co.jp/2015/03/20150309_47860.html

 

こちらは大日山70号墳(6世紀)に副葬されていた鉄鉗(かなばし)

鉄素材を挟み、鉄槌で叩き伸ばすための道具。

この古墳からは鍛冶道具がまとまって出土し、被葬者は鉄器生産に携わった人物と考えられるそう。

今と同じ形をしていることに驚いた。1500年前にすでに完成された機能・デザインだったとは。

 

「アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝」展ほか @東京国立博物館・上野

週末の夜間開館で仁和寺展を再訪。大阪・葛井寺の千手観音菩薩座像(国宝・8世紀)を拝観。

一般的な千手観音は千手を40本の腕で表すが、こちらの像は実際に千本以上の腕が確認される唯一の千手観音像(1041本)

正面から側面から後ろから、じっくり拝観させていただいたが、後背からシメジの根元部分のように何層もの腕が、孔雀の羽のように広がる姿は圧倒的で神々しかった。

一本一本の腕は異なる形を示すが、美しい指は全部で5205本ということになる!

 

うっとりと見とれる鑑賞者も多い印象だった。

3月11日まで。ツイッターで待ち時間が確認できる。

https://twitter.com/ninnaji2018

 

撮影可の場所もあるが、2度目の時は動きがとりにくい状況になっていた。

 

 

表慶館では「アラビアの道 サウジアラビア王国の至宝」展が開催されていた(5月13日まで)

アラビア半島には古代から交易路が張り巡らされており、諸文明が行き交った証となる貴重な文化財はサウジアラビア王国の国立博物館等で所蔵されている。日本での公開は今回が初めてになるそう。

 

入口ホールで迎えてくれる人形石柱。

 

紀元前3500~前2500年前という古いもので(後者であればエジプトのクフ王と同時代)、移牧民や遊牧民が、墓や祭祀施設に立てたと考えらるそうだ。砂岩製。

 

こちらは、やはり紀元前3500~前2500年頃に造られた石偶(せきぐう)
女性を表わしていて、表面に赤色顔料が残っている。

 

ガラスケースに収まった、馬の像は、なんと新石器時代~前6500年頃のもの。

 

眼から上は欠けているが、口元などはよく特徴をとらえている。

 

考古展示では100万年以上前にさかのぼるという、アジア最初の石器もあった。

 

こちらの大きな男性像は紀元前4~前3世紀頃のもの。

 

日本列島では弥生時代、地中海圏ではギリシアが全盛期、ローマの勃興期。

 

リアルな膝周り。

 

本展には、メッカのカァバ神殿の扉(実物)も出ている。

 

オスマン朝時代の1635,1636年に、スルターンのムラト4世が寄進し、1930年代まで使われたもの。木芯、打出銀張で鍍金がなされ、絢爛。

 

企画展としては入館無料(東博の入場料に含まれる)、基本は撮影可。

当初は3月18日までの会期だったが、5月13日まで延長された。

出展数は400件以上で、ヘレニズム時代やローマ時代に賑わった古代都市からの出土品やサウジアラビア初代国王の遺品(20世紀)なども含まれる。おすすめです。

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1886