墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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岩本塚古墳~久保田1号墳 長野県飯田市川路 古墳と桜の飯田紀行(3)

下辻古墳を擁する家の前から200mほど北へ歩くと、民家の入口脇に岩本塚古墳の墳丘が残っていた。

 

シダレ桜は開花前。表面の石は葺石か。

 

ぺんさんのサイトからの孫引きだが、岩本塚古墳は径12.6×18.4mの円墳で、埴輪があったようだが主体部などの詳細は不明とのこと。

 http://pennihonshi.blog.fc2.com/blog-entry-942.html

 

ぺんさんのサイトには、上記の奥50mほど先の斜面上に残る2基(今洞2号墳・3号墳)も紹介されているが、時間の都合で次の機会とした。

 

その先で小道を右に折れた斜面下に、前方後円の久保田1号古墳が残っていた(写真中央の土盛り)

 

西側に前方部を向ける。手前が前方部左下裾。

 

後円部側へ回っていくと説明板が。

久保田1号古墳と正清寺跡
正清寺(しょうせいじ)開基は定かではないが、元禄検地帳に社地記載が見られる。延享元年(1774)の下川路寺社改めには、竜丘開善寺の末寺とされ、一般にその隠居寺とされてきた。
本尊は聖観音で、薬師如来尊も祀られて往昔の縁日には賑いを見た。しかし、三六災害の水禍などから寺院も変貌し、本尊や石仏等は開善寺に移され、この地は正清寺跡となっている。
この地には、長野県最南端の前方後円墳があり、久保田1号古墳(正清寺古墳)と呼ばれている。平成9~11年度の発掘調査から、後円部を東側に向けており、墳丘が61m、周溝を含めると90m程の長さであったことがわかっている。
一帯には古墳時代中期を中心とする集落が5世紀末まで営まれており、古墳は造り替えがなされているが、6世紀前半には最終的な形ができていたと判断される。また、この古墳の周溝内からは、須恵器や土師器がまとまって出土しており、なんらかの祭祀的行為がなされたと考えられる。祭祀行為は6世紀後半以降に行われたと考えられる。
竜丘地区の御猿堂古墳とは久米川を挟み、指呼の内にあり、深い関連性が想定される。
平成21年3月 川路まちづくり委員会

 

飯田市美術博物館のサイトにも解説が。 

横穴式石室と考えられる埋葬施設は、元治元年(1864)の寺敷地造成により破壊されて残っていないそうだ。

https://www.iida-museum.org/kouko/lib/new_page_56.htm

 

後円部側から。手前側から削られている雰囲気。

 

墳丘に上がらせて頂いて、前方部方向。

 

振り向いての眺め。正面建物の奥がすぐ天竜川で、堤防の先までは300mほど。

 

前方部上に移動して、後円部方向を。

現在残る全長は45mほどなので、元は1.5倍くらいか。横穴式石室の入口は東(天竜川方向)だったのか南だったのか。

 

振り向いた西側は丘陵斜面に相対する。

 

久保田1号墳から北に250mほど、茂都計(もっけ)川に架かる四丁橋を渡る。

 

橋上から西の上流方向。

 

東方向。飯田線の鉄橋の先で天竜川へ直角に合流する。

 

今回の墳行では、飯田市美術博物館で購入した「飯田は古墳の博物館・古墳ガイドブック」(200円)がとても役に立った。

 

個別の古墳の説明も写真入りで詳しいが、最初の見開きの地図「飯田の地形と主要古墳分布図」がわかりやすい(飯田盆地を東側から俯瞰している)

520基超が確認されている飯田市の古墳のなかで、5世紀後半から6世紀にかけて造られた前方後円墳(帆立貝形を含む)22基が飯田古墳群と呼ばれ、そのうち13基が国史跡指定(2016年)
そのほとんどは南北10kmの天竜川流域低位段丘に立地し、天竜川支流で区画された5つ(川路・竜丘・松尾・上郷・座光寺)のグループに分けられるそうだ。

 

このエントリの久保田1号墳(マップの左端)までが川路グループで、次回からが竜丘グループになる。

日があるうちに中間の松尾グループまで歩く予定にして、先を急いだ。

下辻古墳(御射山3号墳) 長野県飯田市川路 古墳と桜の飯田紀行(2)

飯田駅にて電車待ち。反対側ホームには岡谷行き。自分は天竜峡行きに乗って8駅先へ。

 

松川を渡る。地形に沿って大回りする飯田線は車窓がダイナミック。

 

天竜峡駅のひとつ手前の川路駅で下車。乗ってきた2両編成を見送る。

 

駅舎の外観。改札のない無人駅。

 

今回の古墳探訪では、ぺんさんのサイトを大いに参考にさせていただきました。

http://pennihonshi.blog.fc2.com/

大変お世話になりました。

 

飯田古墳群は南北10kmの縦長エリアに5つの区域に分かれてグループを形成する。

まずはその、ほぼ南端から北へ歩いてみることに決めて川路駅からのスタートとした。

 

駅から西側。右奥丘の中腹あたりを目指す。 

 

道端(?)の桜も見事。 

 

最初に訪問したのは、個人宅の敷地にある下辻(したつじ)古墳。 

下辻(したつじ)古墳
飯田下伊那には700基の古墳が存在したとされ、川路地区内には48基が確認されている。
下辻古墳は長谷部家裏側の急斜面裾に築かれた当地区を代表する円墳で、現存する古墳の大きさは約12mを測る。ほぼ完全な形で残る横穴式石室は、天竜川の方向である南東に開口する。石室は細長く、長さ8.8m・高さ2.6mを測り、天井石は5枚が残っている。過去に馬具・土師器・金環・勾玉等の副葬品が出土している。構造時期は6世紀と推定される。近くにはこの古墳を築造した古代豪族の居住域があったと推定される。
平成22年3月 川路まちづくり委員会

 

桜咲く斜面の端に墳丘が築かれ、石室が開口している(右から2本目の木の後ろ)

玄関チャイムを鳴らすとご主人が在宅で、見学希望を快く受け入れていただいた。昨年に地元新聞の取材があってからは地域の小学校で見学に来るようになったとのこと。

 

裏へ回って墳丘の下に到着。

 

右へ回り込むと、大きく開いた入口があった。 

 

室内高は2.6mもある。 



住めそうです。

 

石の大きさに圧倒される。 

 

奥壁の様子。 

 

奥壁からの天井石。

 

奥壁前から開口部。奥行き8.8m。

 

その左側の壁面をフラッシュで。

 

右側壁も。

 

墳頂に上がり、祠にお参りさせていただいた。

 

天竜川方向、その先の南アルプスを見渡せた。

 

裏手の斜面には沢山の桜が。

 

お礼と感想を述べて次の古墳へ向かう。途中の民家のシダレ桜。