権現山1号墳は、前回の2号墳の100mほど奥(南)にあります。
ロープで仕切られた小径を進むと、すぐに1号墳。

権現山1号墳の後円部。全長38.4mの前方後円墳で、4世紀後半頃の築造。
2号墳と同じく、後円部を北東側に向けています。

斜面に石が。河原石っぽい丸みがあります。

後円部墳頂に上がって前方部側を。

後円部の解説。

1号墳の後円部
1号墳の後円部は、斜面に葺石がふかれ、上には底に孔があいた壺形土器が並べられていたようです。また、遺体をおさめた主体部は、竪穴式石槨と判明しています。
東三河地方で竪穴式石槨が確認されたのは、この古墳だけです。
墳頂からは木々で眺めはありません。

この西300mほど、比高差60m下に豊川が流れています。

2号墳から来た道を。

後円部から前方部方向。

鞍部から前方部。

鞍部から振り返った後円部。

前方部から見る後円部。

前方部の解説。

1号墳の前方部
1号墳の前方部は、斜面に葺石がふかれ、上には底に孔があいた壺形土器が並べられていたようです。
前方部は本来、通路であり、マツリを行う場所でした。しかし発掘調査ではこの付近で祭祀にかかわるものは出土していません。
前方部先端側に降りて振り返って。

そこにも説明板がありました。

1号墳前方部の広場
1号墳前方部の南西側にあたる屋根は、平坦に加工されて広場のようになっています。前方部の葺石は基本的に角礫が使用されていますが、広場に面したところは丸い河原石が使われており、この広場が特別な場所であったことを推定させます。
前方部右裾側から。

左裾側から。

左側斜面のくびれ部あたり。


1号墳のくびれ部
1号墳の後円部と前方部の境界にあたるくびれ部は、葺石に角礫を使用しており、一部に大きな石材が使われるなど、ほかの部分の葺石とは様相が異なります。
また、石で囲った時期不明の小型埋葬施設が1基見つかっています。
パノラマで。

後円部裾から、右奥へ前方部。

見上げた後円部墳頂。

説明板は2号墳の裾にあります(再掲)

愛知県指定史跡 権現山古墳 2基
昭和48年4月4日指定権現山古墳は、1号墳と2号墳の2基の前方後円墳からなり、権現山古墳群とも総称されます。両古墳は標高68.5mの権現山の尾根線上に、90mほど離れて築かれています。
1号墳は全長38.4m、後円部径23.0m、前方部長は15.4mあります。後円部の中心には竪穴式石様が存在し、天井石には石灰岩が使われていました。また後円部や前方部の斜面には葺石が見られます。このほか、墳丘上からは底に穴があいた多数の壺形埴輪(二重口縁壺)の破片が出土しており、築造当時は古墳の上に壺が立ち並んでいたと推定されます。本墳は、古墳時代前期後葉(4世紀後半ごろ)に築かれたと考えられます。2号墳は全長33.0m、後円部径24m、前方部長は10.2mあります。葺石は無く、埋葬施設も分かりませんが、墳丘の裾から3世紀後半ごろの土器が出土しており、そのころに築かれた古墳と考えられます。
権現山古墳は、豊川下流域を広く臨む丘陵上にあり、古墳時代前期にこの地域を支配した有力な首長たちの墓でしょう。
豊橋市教育委員会
排水施設脇の分岐まで戻ったところからの、北東側の眺め。

2025年10月中旬訪問