春日山城跡を歩いた後は10㎞ほど南へ移動して、妙高市の観音平古墳群を訪ねました。
ストリートビューで入口(左の駐車場)を。
国史跡で説明板もしっかりと。

こちらがその説明板。

史跡観音平・天神堂古墳群
観音平古墳群斐田遺跡を挟んで北に位置する観音平古墳群と、南に位置する天神堂古墳群には、合わせて150基あまりの古墳が存在しています。
このうち観音平古墳群には、山頂部に築かれた2基の前方後円墳をはじめとして、50基を越える古墳が当時の姿で残っています。
2基の前方後円墳は、新潟県内では最古級となる3世紀後半の築造と考えられており、前方後円墳を生み出したヤマト王権の支配が当地にも及んだことを示しています。昭和53年3月24日指定
妙高市大字宮内・青田
妙高市教育委員会
墳形や大きさもわかる良い地図です。
一番上に前方後円墳が2基あるではないですか。

開閉できるドアがありますが、左右には電気柵。

入るかどうか迷っていたところに近所の方が通りがかったので状況をうかがうと、「ここで最近で(’熊が)出たとは知らない」とのことだったので、行ってみました。
下草が払われ、ところどころ階段も整備された歩きやすい森ですが、

人気(ひとけ)は無いので、ベルをチリンチリン鳴らしながら。

地面の膨らみはそこここに。

落ち着いて見ると美しい森です。

ジャンプ台のような墳丘。

足早に、上を目指します。

そろそろ上が見えてきた?
手前が6号墳で奥が5号墳だと思われます。

おそらく6号墳。

6号墳から振り返った5号墳(と思われます)

その先の開けた場所に説明板が!

それが観音平4号墳でした。

観音平4号墳
4号墳は全長約33.6mの前方後円墳で、奥の一段高い後円部(埋葬部)に対して手前の前方部が細くて短く、上から見ると手鏡のような形をしています。
この4号墳ではこれまでに遺物の出土がなく、築造年代の決め手を欠いていますが、4号墳と類似した形態の古墳が、奈良県桜井市の纒向遺跡の周辺などで見つかっていることから、この古墳の誕生には、奈良盆地を拠点した勢力、すなわち初期ヤマト王権の政治的・文化的な影響が想定されています。
この「纒向型」と呼ばれる前方後円墳は、これまでの研究で古墳時代の前期前半(3世紀後半)に奈良盆地から各地に広まったことがわかっているため、4号墳の年代も同じ頃ではないかと推測されています。
3世紀後半頃?
マップと実測図の部分を。


観音平4号墳を前方部左裾側から。

前方部に上がって後円部方向を。

鞍部から後円部を。

こちらが後円部墳頂。

後円部から前方部方向を振り返って。

少し草が被る現状ですが、頚城平野が見わたせます。

さらに上には1号墳。

次回につづく。
2025年10月上旬訪問