墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

五智国分寺 新潟県上越市五智

前回の、親鸞聖人上陸の地(居多浜展望台)からは、まっすぐ南東に400mほどで、居多神社と五智国分寺の広い駐車場に出ました。

 

まずは居多(こた)神社に参拝したのですが、階段を上がっての写真をとっておらず。

 

親鸞聖人が来た時に境内の葦が、片葉になったとの伝説あり。

 

道路の東側の坂を上がると五智国分寺。

 

美しい屋根の本殿です。昭和63年に火事で焼け、平成9年に再建されています。

 

堂内の様子は説明板で。中に上がって拝観することもできますが、それぞれの如来につながった5本の糸に、上がらずとも触れることができます。

越後国分寺の五智如来

左から、阿弥陀如来、薬師如来(阿しゅく如来)、胎蔵界大日如来、宝生如来、釈迦如来 (不空成就如来)
五智如来とは、大日如来の五つの智恵を現す五仏です。向かって左より阿弥陀如来は、極楽往生の功徳、薬師如来は病魔を退散させる医薬の功徳、大日如来は太陽のように万物をいくつしむ功徳、宝生如来は福徳財宝・五穀豊穣の功徳、釈迦如来は智恵聡明の功徳を授けてくださる仏様です。 
中央の仏さまは胎蔵界の大日如来です。大日如来の印相は、二つの曼荼羅界で異なり金剛界では智拳印を結び、胎蔵界の大日如来は法界定印を結び、瞑想にふける姿をしています。左右は金剛界の四方仏で、焼失前と同じ並びです。
本尊は半丈六(約130㎝)でヒノキの一本造りで、漆と金箔で古代色に仕上げてあります。

越後国分寺の由来

奈良時代の天平13年(741)に聖武天皇の勅命により、行基が開基した越後の国分寺です。その後、幾度となく災厄を重ね、永禄5年(1562)に、上杉謙信がこの地に真言宗の寺院として再興しました。江戸初期になって、謙信の甥俊海僧正が天台宗の国分寺として中興してから、幕末まで寺領200石が徳川幕府より寄せられていました。
昭和63年1月に本堂を焼失しましたが、多くの方々のご協力とご浄財で平成9年10月5日落慶法要を執り行うことができました。
今の本堂は、鎌倉時代の建築様式を模して、入母屋造り、銅版葺き、間口7間、奥行き6間の建物です。用材は主に青森ヒバ材で床にいたるまで槍ガンナで仕上げてあります。

 

奈良時代の国分寺は頸城郡にあったことしか、具体的な場所は判っていないようです。

越後国分寺境内 - 上越市ホームページ

 

境内には、江戸時代末に建てられた三重塔。

 

宮大工が20年かけて建てたって凄くないですか。

五智国分寺三重塔
国分寺は、聖武天皇が天平13年(741)1国1寺の建立を命じたのがはじまりです。当時の越後国分寺の所在については諸説があり、現在まで位置はわかっていません。現在の国分寺は、永禄5年(1562)7月廃寺のようになって いたものを、上杉謙信か再興したものです。しかし、その後何回か火災にあって焼失し三重塔を現在の姿に建て直したのは安政3年(1856)です。宮大工曽武川常右衛門、江崎の長三郎の手により、およそ20年かかっています。壁面には高田の住人石倉(後藤)正義銘の十二支と二十四支孝の中から選んだ十二孝の彫刻がはめこまれています。

高さ25.85m 間口4.8m 奥行き4.8m

新潟県指定文化財 昭和51年3月31日指定

 

2025年10月上旬訪問