墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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童男山4号墳 福岡県八女市山内

3号墳で石室を見た後は、1号墳の北東にピンが立つ4号墳を目指しました。

下記は2号墳の裾の説明板にあったマップ。

 

1号墳の東側に回ると広場があり、古墳がありそうな方向に階段があったので上がって見ますが…

 

ロープで結界あり。

 

一旦降りて、その左奥(北寄り)の踏み跡を上がって行くと、4号墳のサインがありました。その背後が墳丘と思われます。

 

反対側から。

 

すぐ北西側にあった神秘的な溜池。


北東側に、展望台的なものが残っていたので、草をかき分けながら上がってみました。

 

そこから南東側の展望。目の前に平らな土地、その右に石造あり。

 

グーグルマップを見ると、まだ建物が写ったままになっていました。

 

4号墳のあたりから見たその石造。

 

近くで見るとなかなかの大きさ。

 

”徐福”の像でした。

 

1号墳脇にあった関連解説。

童男山ふすべ 
今から二千年以上も大昔、中国が秦という名の頃、始皇帝という人が家来の徐福に「いつまでも若さと元気を保つ不老長寿の薬を探し求めてこい」と命じました。命を受けた徐福は、自国の秦の国内はおろか東支那海を渡り、九州の今の有明海より私達の郷土、この川崎まで薬を求めてやってきました。 しかし徐福は、寒い冬空のもと、つかれはててとうとう病にたおれ、地域の人々の手厚い看護もむなしく病死してしまいましだ。 私達の祖先の人々は、この見も知らぬ他国人を、やさしく、温かく、ていねいにほうむってあげました。 そして徐福のやすらかなねむりを念じ、煙が絶えないように火をたき続けてきたと伝えられています。 
これが「童男山ふすべ」の由来です。 以来地域の人々は、このうるわしい伝統を受け継ぎ毎年1月20日に童男山ふすべを行ってまいりました。 
現在では川崎小学校の児童に受け継がれ、祖先の人々の国境を越えた温かい人間愛を象徴する大事な行事として続けられています。 
平成元年2月 八女市教育委員会

 

再び周辺マップを。

上記には4号墳から5号墳への”線”や、13号墳の左から7~10号墳に向かう”点線”が見られるのですが現地では見つけられず。一本東の谷の小径にも入ってみましたがわからず、またの機会としました。

 

ぺんさんが今年の初めに訪ねておられました!

童男山7号墳【福岡県八女市】 - ぺんの古墳探訪記

 

2024年11月下旬訪問