墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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毘売塚古墳  島根県安来市黒井田町

出雲縁結び空港で車を借りてまずは米子へ向かいましたが、途中で島根県の東端に近い、中海に近い古墳に立ち寄りました。

はじめは、山陰本線の安来駅のそばの毘売塚(ひめつか)古墳。

 

駅の南側、奥の工場への道筋に、登り口がありました。

 

整備された階段道。

 

標高32mの丘ですが、なかなかの急登。

 

途中にあった説明板。毘売塚古墳は全長42mの前方後円墳です。

島根県指定史跡 毘売塚古墳
中海を望む丘陵の突端に、5世紀代に築かれた全長約42mの前方後円墳。階段が途中で急になっている部分が古墳の裾にあたります。斜面には葺石がみられ、墳丘からは円筒埴輪が出土しています。
古墳頂部から安来市荒島産の凝灰岩で作られた舟形石棺が発見され、中には鉄剣と人骨が残っていました。石棺は現在埋め戻され、その上には石碑が立っています。
石棺の外からは、鉄剣・鉄矛・鉄鏃・短甲・漁具(ヤス)などが出土しています。
平成25年3月 安来市教育委員会

 

おそらくですが説明板のあたりが後円部裾のように感じました。

 

頂上(墳頂)から振り返って。

手摺りの角度が変わっているところからが墳丘だと思います。

 

墳頂の中央には柵で囲まれたエリアが。

 

石碑には大きく毘売塚を掘られていました。この下に石棺が埋め戻されているのでしょう。


そこから前方部(南)方向。

 

前方部の裾と思われるあたりから振り返った後円部。

 

墳頂にて北方向。ベンチもあります。

 

そこからの眺め。右の安来港は、街の奥に中海につながっています。

 

眼下の安来駅ホーム。中央奥、安来市庁舎の背後に小山があるのに今気づきましたが、地図には羽島神社とありました。墳丘の匂いがしますね。

 

登り口の脇にあった「毘売﨑伝承」、悲しい話ですが興味深かったです。

毘売﨑伝承
奈良時代(733年)に編纂された「出雲国風土記」の意宇郡安来郷の条に記されている伝承です。
その伝承によると、「天武天皇の時代の7月13日のこと。安来郷の北の海岸に毘売﨑という所があり、そこを語臣の猪麻呂の娘が散歩していると、和鰐(サメ)の来襲に遭い、咬みつかれて死んでしまった。父の猪麻呂は殺された娘を浜のほとりに葬ったが、悲しみと怒りで昼も夜も悩み苦しみ続け、その場を離れようとしなかった。
数日経ち、矢先を研ぎ、鉾先を鋭くして、これを持ち、海岸のしかるべき場所に座り、天や地にいる無数の神をはじめ、出雲の三百九十九の社、さらに海の神などありとあらゆる神に祈りを捧げ、和鰐を殺させてくれるようにと願った。
そうしたところ、百匹あまりの和鰐が一匹の和鰐を囲むようにして姿を現した。猪麻呂は持っていた鉾を振り上げ、囲まれている中央の和鰐を刺殺して捕まえた。それが終わると、和鰐は囲みを解いて立ち去った。猪麻呂がその和鰐を切り裂くと、娘の脚の脛の部分が出てきた。この和鰐が娘を殺した和鰐であることを知った猪麻呂は、この和鰐をさらに切り裂き、串刺しにして、道のかたわらにさらした」と記されています。
この和鰐に殺された娘の霊を慰める慰霊祭が起源と伝えられるお祭りが、安来の夏を彩る「月ノ輪神事」です。また、地元では、この丘の上に築かれている毘売塚古墳をこの娘の墓と伝えています。
平成25年 安来市教育委員会

 

登り口のあたりから安来駅方向。

正面は株式会社プロテリアル(旧日立金属)安来工場でした。