墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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小向江古墳 鹿児島県出水郡長島町山門野

前回の加世堂古墳の600m程北西、加世堂湾の奥に、移設された小向江(こむかえ)古墳が残っていました。

 

加世堂古墳から戻って来た道を振り返って(右側奥に加世堂湾)

 

上記から左を向いたところに、看板と説明板があります。

 

こちらが説明板。元の位置は150m程南西とのこと。

史跡 小向江古墳(復元移設)
長島町指定史跡 指定日:昭和60年12月21日
小向江古墳は、ここより約150m南西の字小向江の急傾斜地に埋蔵されていました。昭和59年11月21日、「急傾斜地崩壊対策工事」の工事中に、石囲いと鉄刀が発見され、発掘調査は12月10日から13日まで県文化課の専門職員により行われました。調査では県考古学会河口貞徳会長の指導と当地の浜畑組の協力を受けました。
調査の結果、小向江古墳は3基あり、湾奥のほうから小向江1号墳、小向江2号墳、小向江3号墳と名付けました。
1号墳は、保存状態が3基の中で一番良く、ここに移設した古墳はこの1号墳です。石室は内側の長さが125㎝程で、副葬品はそれぞれ欠損していますが、鉄剣1本、鉄矛1本、土師器の坩1個が出土しました。
2号墳は、板状の石が2枚残っただけでほとんどが破壊されていました。
3号運は、側壁と葺石をわずかに残していました。最初に発見された鉄刀が出土したのがこの3号墳です。他に鉄鏃と高坏も見つかりました。
この他、近くで6世紀に該当する須恵器の破片が見つかりました。
小向江古墳は板石で石室・葺石を構築しており、本町蔵之元の明神下岡遺跡でも同様のものが見られ、石室の形態は薩摩地方で見られる地下式板石積石室と類似しています。また、近くの加世堂古墳とは全く異なる形態で、小向江古墳の発見は当地方の古代史の研究の上で重要です。
なお、小向江古墳は急傾斜地危険防止工事で現地保存ができなかったため、1号墳を形や向きなど正確に移設し復元しました。
長島町教育委員会(平成25年6月設置)

 

説明板の写真より。

 

説明板の背後の崖。

 

そしてこちらが移設された石室。平面プランは正方形に近い印象。

 

右側が湾(斜面下)方向なので、奥壁とは逆になるかと思えます。

 

すぐ脇の拝所に参拝しました。

おそらく毎日使われている竹箒。