墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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小松原古墳 鹿児島県薩摩郡さつま町柏原

今回からは2022年9月下旬に訪ねた、北薩摩の古墳旅になります。

妻の知り合いの、出水市のご実家(武家屋敷)が宿に改装されたとのことで、その宿泊が(妻にとっては)メインの夫婦旅でした。

 

鹿児島空港で車を借りて北西へと向かう途中に古墳のピンが立っていたので小休憩。

 

川内川の中流域、その支流の夜星川(やぼしがわ)右岸近く、道路際に小松原古墳がありました。

 

見上げる位置ですが、道路を通すのにこちら側が削られたようです。

 

このときはまだ小雨がぱらついていました。


7基あって内6基は、この地方に特有の地下式板石積石室墓(ちかしきいたいしづみせきしつぼ:板石積石棺墓)です。

町指定文化財 小松原古墳
古墳時代における、4世紀後半から6世紀初め頃の川内川流域には、地下式横穴墓、地下式板石積石室墓とよばれる南九州特有の墳墓が分布していた。
小松原古墳は、昭和48年2月、県道の工事中、宮之城中学校の生徒が発見した遺跡である。その後、昭和52年に発掘調査が行われた。
その結果、7基の墳墓が確認され、3号墳以外の古墳は、当地方の古墳時代を代表する地下式板石積石室墓であることがわかった。形状は、円形に板状の石で囲いをし、その上に板石を重ねて、ドーム状に積み上げたもので、当遺跡では上部の板石は耕作等でほとんで抜き取られていた。石室内からは人骨片とともに鏃などが出土した。1号墳から5号墳は、内部の土を取り除いた状況で残されており、6号墳と7号墳は、道路側の断面に板石が露出した状態で残されている。
出土した遺跡から、墳墓が成立した年代は、5世紀代から6世紀代と推定されている。
さつま町教育委員会

 

径1m強の穴でした。小さな五右衛門風呂的な。


Wikipediaの項の図を見ると、横向きに屈葬され、円の縁から板石をドーム状に持ち送って蓋していたようですね。

板石積石棺墓 - Wikipedia

鹿児島県北西部から九州西岸島嶼部、及び宮崎県西南部に見られる地域性の強い墓制(4~5世紀)として知られるとのこと。

 

きちんと番号が振ってあって見学者フレンドリー。

 

3号墳は地下式横穴墓とのこと。

 

地下式横穴墓と地下式板石積石室墓とは階層性を示すのでしょうか。

 

小さな5号墳は子ども?

 

現地で説明板をよく読んでおらず、6号墳・7号墳の石が斜面に出ていたのかは未確認です。